あるクライアントと、スマホの話になった。どこに行っても、最近はみんなスマホを見ている。気味が悪いと。子どもがうるさいからスマホを渡してゲームさせているお母さんを見かけた。スマホに子守をさせている。

このクライアントは米寿を迎えた女性。携帯は持っているが、ガラケー。でも、気骨のある方なので、臆することなく必要な時はガラケーを出して使っている。

最近は授乳中のお母さんがスマホでゲームやLINEをやっている話をしたら、御存知なかったようでとても驚いていた。

「あんな可愛いものを抱いていながら、それを見ないの?」

自分にとって最大の存在である母親が、自分を見つめず、違うところを見つめている。赤ちゃんの心の成長に良いわけがない…と、ここまではよくある評論。

「私は子どもの目に映る自分の顔を見ていましたよ。」

これは私も初めて聞いた。まあ、じっと目を見つめていれば自分の顔も映って見えるだろうよ、と言ってしまえば身もふたもない当たり前なことなのだが…。

何だか、ジーンときた。

赤ちゃんも母親の目を見ていて、視覚を獲得していくにしたがって、母の眼に映る自分の姿も確認しているに違いない。母子の目が、お互いの姿を反射し合っている。それは、信頼のキャッチボールでもあり、愛情のキャッチボールでもある。

これは母乳で育てる場合に限られたことではない。哺乳瓶ででもできる。つまり父親もできる。

聞けば、クライアントは曾孫が産まれたばかりだった。