10月の初め、湯殿山の大日坊を参拝した。真如海上人の即身仏がある所だ。

稲刈りが終わった田んぼが眼前に広がるのどかな風景。山の上だから若干斜めになっている感じはあるけれど、広さを考えるととても山の上とは思えない。

以前、浅草寺で娘が柏手を2回パンパンとやってしまい、周囲の熱心な参拝者から睨まれたことがあるので、
「ここは、お寺だから手は叩かないんだぞ」と娘に耳打ちした。その途端、副住職さんが手をパチンと叩いた。(後の説明によると、ここは祈祷するお寺なので手を叩くのだそうだ。但し1回だけ。)

「叩いてるじゃない!」という目で、娘が私を見返す。私たちの心は、一挙に、お参りには相応しくない不謹慎な状態になった。

副住職さんのお経に合せて、合掌、目を閉じていると、突然、首の辺りにカシャカシャと何かが触れてきた。驚いて目を開けると、副住職さんが参拝者を一人一人清めて下さっているようだった。長い棒の先に、神社のしめ縄に付いてある白い紙のようなものがたくさん付いてものを使っている。

われわれ不謹慎御一行は、笑いを堪えるのに必死だった。

その後、住職様の丁寧な御説明。廃仏毀釈に関わる悲しい出来事が湯殿山にあったらしいことは、浅見光彦のドラマで見たような気がする。その当事者がここだったらしい。

江戸時代に多くの参拝者が山形県を訪れたという話を、児童向けの歴史本で読んだことがある。その時、出羽三山とも羽黒山とも書いていなくて、湯殿山と書いてあったことが奇異に感じられた。その謎が、住職様のお話で氷解した。

当時は日本でも屈指の規模を誇る大寺院だったようである。冒頭に書いたが、山の上なのに大きく広がる平坦な土地。高野山には行ったことが無いけれど、おそらく似た地形なのだと思う。グーグルで見ると、大日坊の少し上の方に放牧場が広がっている。地すべり事故が起きるまでは、ここに壮大な寺院が立ち並んでいたのかと思うと、とても残念である。

権力が移行し、世の中が大きく変わる時、それまで大きかった存在は当然のことながら、新興勢力の側には付かない。比叡山と信長のような対立が、こんな身近な所でもあったのかと驚いた。