師匠が立て続けに本を出していますが、この本、入手しました。

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帯の、師匠の子供時代の写真がかわいい(2015/10/7 12:29)


10月10日のたまプラーザでの講演で、「50代で自分を変えるのは非常に難しいと言われている」とおっしゃっていて、軽くショックを受けました。「不可能」と言っていないところに着目すべきだとは思いますが、ポジティブに(笑)。

まず、この手の本を読むにあたり最初に前提とすべきことは、自分の「今」に関する責任は全て自分にあることを率直に認めること。でなければ、自分を変える意味もなくなるし、自分の問題を自分で解決することも不可能ということになる。

これについては、師匠も取り上げていますが、アドラー心理学で私もすごく納得しました。フロイト的決定論からアドラー的目的論への転換です。ちょっと違うかもしれませんが、上杉鷹山の「為せば成る」に似ているような気がします。

卑近な例で言えば、自分の半世紀を振り返って、現状を自分がしっかりと選択してきたことに気づいたのです。土壇場で苦しみながらも、不死鳥の如く格好良く飛翔する場面を狙っている自分が常にいる。だから、ここでこっちを選べばそこそこの成功はできるかもしれないと思っても、敢えて「まだその時ではない」と言って自分を追い込む方を選んでしまう(これって妖怪「まんをじし」の仕業?なんて他人のせいにしてたらダメ)。そして、いよいよ後は不死鳥となるだけの状況がしばらく前から出来上がっているわけです。家族のためにもそろそろいい加減にしないといけない。

だから、いま私は不死鳥に変わらなければいけない…。

岸見さんによると「アドラー心理学」では、自分とは「今」という刹那の連続であると捉えるとの事(「今」を大切にしようというのは「一期一会」とも合致します)。仏教にも似た捉え方があって、こう捉えれば「さっき」と「今」の自分が同じなのがむしろ不思議に思えてきたりもします。

ただ、これまでの自分を反省し厳かに自己否定し、より良い自分をしっかりとデザインして…なんて言ってたら行動を起こす日は永遠に訪れないですよ!だから、何も考えず、スモールステップで、すぐに取り掛かれるものからやっていきましょう!というのが、師匠がこの本で提案していることなわけです。

とにかく、今までの自分とは違う自分をカードの山に差し込んでいくように、刹那刹那に入れていくことに徹する。そのカードの山を遠くから見た時の景色が今までと違っていれば、「○○さん、最近変わったね」と周囲から言われたりする。でも、アドラー心理学的には、そんな他人の評価はその他人の問題であって本人には関係ないのであるけれど。

人間は本性として、肉体もそうなのですが、脳も変化を嫌うのだそうです。なるべく昨日と同じように今日を過ごしたい。さらに願わくば昨日の5%offくらいのパフォーマンスでこなしていきたい。そんなふうにして、どんどん減衰していくわけです。これが、老化の本質なのかもしれない。

私も、古くは let it be、最近ではlet it go を聴いて、このままでいいんだと自分に言い聞かせ、ホッとしてきた…。

でも、生まれたままでいいのなら、そもそも教育など要らない。確か孔子が似たようなことを言っていた(もちろん、裏には中華を取り巻く、教育を持たない蛮族への蔑視も含まれていたのだろうが)。

そう言えば、ペガッサ星人も言っていた…。

「何だって⁉ おい、地球は自分で動けないのか!勝手に動いている物の上に人間は乗っかっているだけなのか⁉ それだったら、野蛮な宇宙の殆どの星と同じじゃないか!!」(ウルトラセブン第6話「ダーク・ゾーン」より)