尾花沢市の銀山温泉の近くに上の畑焼という焼き物があります。上の畑焼陶芸センターにて、絵付け体験をしてきました。一般財団法人山形県教育共励会主催「上の畑焼と延沢銀山」という親子行事のひとつです。
東根公民館で猪野沢焼を体験したばかりで、陶工への道まっしぐらという感じですが、「えづけ」と言うと「餌付け」になるから「絵付け」は「えつけ」って読まないといけないね〜というレベルの私たち。
伊藤瓢堂先生が穴埋め問題形式の資料と共に説明して下さいまして、かなり勉強になりました。
まず、粘土で作ったのが陶器、石を砕いて粘土状にして作るのが磁器ということ。言葉は使ってましたが、意味は全然わかっていなかったのですね。
それから、東根市との関連。東根市長瀞が周囲から独立した長瀞藩であったことは知っていましたが、幕府領だった上の畑村が長瀞藩の管理下に移されていたことは知りませんでした。上の畑焼を始めさせたのが長瀞藩主米津通政。しかしながら、10年余りで行われなくなったのだそうです。
これが伊藤瓢堂氏の手によって復興しました。これが記録によると1979年のこと。36年ほど経っていますから、元々の上の畑焼の歴史よりも長く続いていることになります。それに気づいたときは、感動で鳥肌が立ちました。
上の畑焼の2度目の歴史を広げるべく、私も絵付けに挑戦。

↑やっぱり、ふざけた絵しか描けません。(2015/8/2 9:38)
焼き上がったら、小学校に送付されるとのこと。ちょっと恥ずかしい…。
親たちが絵付けに夢中になっている間、次女が山形新聞の取材を受けていたそうで、翌日の新聞に掲載されました。

「曲面だから描きにくいね〜」と瓢堂先生が繰り返してた説明そのまんまのコメント!しかも写真には写ってない!
東根公民館で猪野沢焼を体験したばかりで、陶工への道まっしぐらという感じですが、「えづけ」と言うと「餌付け」になるから「絵付け」は「えつけ」って読まないといけないね〜というレベルの私たち。
伊藤瓢堂先生が穴埋め問題形式の資料と共に説明して下さいまして、かなり勉強になりました。
まず、粘土で作ったのが陶器、石を砕いて粘土状にして作るのが磁器ということ。言葉は使ってましたが、意味は全然わかっていなかったのですね。
それから、東根市との関連。東根市長瀞が周囲から独立した長瀞藩であったことは知っていましたが、幕府領だった上の畑村が長瀞藩の管理下に移されていたことは知りませんでした。上の畑焼を始めさせたのが長瀞藩主米津通政。しかしながら、10年余りで行われなくなったのだそうです。
これが伊藤瓢堂氏の手によって復興しました。これが記録によると1979年のこと。36年ほど経っていますから、元々の上の畑焼の歴史よりも長く続いていることになります。それに気づいたときは、感動で鳥肌が立ちました。
上の畑焼の2度目の歴史を広げるべく、私も絵付けに挑戦。

↑やっぱり、ふざけた絵しか描けません。(2015/8/2 9:38)
焼き上がったら、小学校に送付されるとのこと。ちょっと恥ずかしい…。
親たちが絵付けに夢中になっている間、次女が山形新聞の取材を受けていたそうで、翌日の新聞に掲載されました。
「曲面だから描きにくいね〜」と瓢堂先生が繰り返してた説明そのまんまのコメント!しかも写真には写ってない!
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