「図解でわかるスタンフォードの自分を変える教室」の第5章「欲望を意志力の源にする」を読みました。

脳には「報酬システム」という部位があるそうで、報酬が手に入りそうだと認識するとドーパミンを放出します。ドーパミンによって神経が研ぎ澄まされ、欲望で頭がいっぱいになります。

ドーパミンにはこのように報酬を期待させる作用はありますが、報酬を得たという実感はもたらされないことが分かっています。ドーパミンの作用で欲しいものを追い求めても、満足感や幸福感は得られないのです。それなのに、自分の身を危険に晒してまでも追い求めてしまうのです。

本書では、ドーパミンを「やる力」とうまく結び付けて、コントロールしていく方法を紹介しています。

ところで、このドーパミンは恋愛しているときに大量に分泌されるものでした。満足感や幸福感は得られませんから、しっかりと理性のブレーキを持っていないと、歯止めは効かず、どこまでも進んでしまいます。これはストーカーですね。

これが、仏教で言う「愛」だと思います。仏教の分析は生化学的に正しいと言えます。

今日的な意味での「愛」(キリスト教的なと言っていいのかどうか)はドーパミンとオキシトシンの良いとこ取りのような気がします。両者の作用がうまい具合にコンビネーションを取れたときに成立する理想的な(奇跡的な)状態。

ともかく私たちは、ドーパミンの作用にうまくブレーキをかけながら、コントロールしていかなければいけないということのようです。