『仏教と現代物理学』(自照社出版)「第二章 色即是空・空即是色」(p99〜151)の「2.真実と虚妄」(p137〜151)を読みました。
『般若心経』の「舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減」についての解説です。一休さんの『般若心経提唱』での該当箇所を引用します。
《以下引用(p137)》
舎利子とは、また、問う人の名を呼び出すなり。この諸法とは、前の色受想行識の五蘊を指していうなり。前に説く如く、四大色身、五蘊の諸法、皆元来空なるほどに、初めより生まれもせず、死にもせず、汚れもせず、清まりもせず、増しもせず、減りもせぬぞ。虚空のかたちなきが如しと、懇ろに空なることを示したまうなり。
《引用終わり》
仏教がテーマとしているものを同じくテーマに選んでいる現代の学問は、やはり物理学だと思います。
《以下引用(p144)》
二十世紀の物理学のすばらしい成功は、時間と空間とを接合させた相対性理論でも、あるいはまた因果律を見かけ上否定した量子論でも、あるいはまた物事はけっして見るがままのものではないという発見をもたらした原子分解でもなく、実は私たちはまだ究極の実在に触れていないと一般に認識させたことであった。 ジェームズ・ジーンズ『神秘な宇宙』
…ジーンズも指摘しているように、夙に知られたプラトンの「洞窟の比喩」(『国家』)もそれを謂ったものである。比喩であるから充分意を尽くしていないが、人間は洞窟の中で振り返ることもなく、前方の壁だけを見ている。そして背後から光を当てられると、そこに影が映し出され、狭隘な洞窟の中でひたすらそれを見、「投影された影の他は何も見たことのない人間」がその影に一喜一憂しているというものだ。…
この比喩とは真逆になるが、洞窟の壁に背を向け、光の世界を体験した稀有な宗教者がかつて日本に住んでいた。世俗を離れ、独り山野で瞑想し、終に室戸岬の洞窟に籠り、只管(ひたすら)、虚空蔵求聞持法の修行に励んだ空海である。
心に観ずるとき、明星口に入り、虚空蔵の光明照し来たりて、菩薩の威を顕わし、仏法の無二を現ず。 空海『御遺告』
《引用終わり》
室戸岬の洞窟というのは「神明窟」ですね。
《インデックス》
《こちらのブログもご覧下さい その1》
《こちらのブログもご覧下さい その2》
『般若心経』の「舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減」についての解説です。一休さんの『般若心経提唱』での該当箇所を引用します。
《以下引用(p137)》
舎利子とは、また、問う人の名を呼び出すなり。この諸法とは、前の色受想行識の五蘊を指していうなり。前に説く如く、四大色身、五蘊の諸法、皆元来空なるほどに、初めより生まれもせず、死にもせず、汚れもせず、清まりもせず、増しもせず、減りもせぬぞ。虚空のかたちなきが如しと、懇ろに空なることを示したまうなり。
《引用終わり》
仏教がテーマとしているものを同じくテーマに選んでいる現代の学問は、やはり物理学だと思います。
《以下引用(p144)》
二十世紀の物理学のすばらしい成功は、時間と空間とを接合させた相対性理論でも、あるいはまた因果律を見かけ上否定した量子論でも、あるいはまた物事はけっして見るがままのものではないという発見をもたらした原子分解でもなく、実は私たちはまだ究極の実在に触れていないと一般に認識させたことであった。 ジェームズ・ジーンズ『神秘な宇宙』
…ジーンズも指摘しているように、夙に知られたプラトンの「洞窟の比喩」(『国家』)もそれを謂ったものである。比喩であるから充分意を尽くしていないが、人間は洞窟の中で振り返ることもなく、前方の壁だけを見ている。そして背後から光を当てられると、そこに影が映し出され、狭隘な洞窟の中でひたすらそれを見、「投影された影の他は何も見たことのない人間」がその影に一喜一憂しているというものだ。…
この比喩とは真逆になるが、洞窟の壁に背を向け、光の世界を体験した稀有な宗教者がかつて日本に住んでいた。世俗を離れ、独り山野で瞑想し、終に室戸岬の洞窟に籠り、只管(ひたすら)、虚空蔵求聞持法の修行に励んだ空海である。
心に観ずるとき、明星口に入り、虚空蔵の光明照し来たりて、菩薩の威を顕わし、仏法の無二を現ず。 空海『御遺告』
《引用終わり》
室戸岬の洞窟というのは「神明窟」ですね。
《インデックス》
《こちらのブログもご覧下さい その1》
《こちらのブログもご覧下さい その2》
コメント