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「自学自習への道」の「4.可能性の追求、そして、全面発達を可能にする自学自習」(p139〜191)を読みました。(小林教室収蔵


p156〜157に2歳でも作文がを書ける!という話があります。質はともかく、自由に自分の言葉を書き連ねることはそれなりの知性を必要とするはずです。自由であれば楽しい作業であるはずで、好んで自分からするうちに知性はますます磨かれていく…そもそも学問とは、こんな形で、その楽しさに病みつきになった人々によって育まれてきたものだと思います。

幸か不幸か、我々には先人たちによる膨大な積み重ねがあります。自分の中だけで発展していくのを待つよりは、まずは先人たちの蓄積を身につけた方が速く高いレベルに到達することができます。故に、私たちには生まれてすぐくらいから先人たちの轍をなぞることが課せられます。自発的に真似ているのならばともかく、過去の鋳型を強要される学習は当然のことながらつまらないものになります。

この過去の踏襲と自分なりのアウトプットを共存させた学習法が縮約という方法なのだと思います。

学問というのは、独りでコツコツと行うオタクなものです。これまでの先人たちの蓄積が膨大であるが故に、自分なりのアウトプットという楽しい部分が遠のいてしまうのは皮肉なことですが、「自分」というものを持ち、「自分」の興味・関心・好奇心で先人たちの蓄積の世界を冒険するならば、これも決して退屈でつまらない作業ではないはずなのです。

学習のモチベーションアップの方法として「ほめる」ことが推奨される昨今ですが、これは幼児期に限るべきだと私は考えます。学問というのは先に進めば進むほど、身近な人間の理解が得られなくなるものだからです。自己満足的な楽しみを唯一の推進力としなければ、モチベーションを維持し続けることは難しいと思います。そこに火がつけば、するな!と言っても勉強ばかりしてしまう状態になるはずですし、勉強とは本来そういうものだと思います。

学習は自学自習であるべきですし、それは自楽自習であるべきなのです。

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