小学6年生を対象に、ジュニアリーダー研修会というものが毎年行われておりまして、この度、そのお手伝いをさせていただくことになっておりました。その中に、子どもたちが小刀を持って竹を削り、マイ箸を作り、研修中の食事の際にはそれを使うという企画がありました。

リーダー研修で箸を作る…イメージしていたら、3つほど思ったことがありました。当日は、それについて考えながら子どもたちの作業を見守ってみようと思っていました。

あいにく、研修で使うことになっていた施設でトラブルが発生しまして、それはできないことになってしまったのですが、その思ったことはここに書きとめておこうと思います。

***

1つは、小刀など使い慣れていない今の子どもたちに、敢えて危険な挑戦をさせるということ。聞くところでは、従業員がカッターで作業中にちょっとだけ手を切ったのが労災扱いになったため、その会社ではカッター(特別な工具ではなく普通のカッターらしい)を使うのに許可が必要になったというケースもあるらしい。大人でさえこんな具合なわけですから、将来のリーダーたる者は、そんなことは鼻で笑えるようでなければならない。

危険な物を扱うには、自分が怪我をしない配慮、周りに危険が及ばないようにする配慮が必要です。たかが小刀であっても、持ち方、刃の向き、微妙な力加減、手が滑ったときの対策、周囲の動向への配慮…といろいろあって、されど小刀なわけであります。

「危険だからしない」ということでは何もできません。「危険だからこそ慣れておこう」というチャレンジの精神、(チャレンジが出たから言うわけではないが)公文式が養おうとしている冒険心がとても大切です。

***

2つ目に思ったことは、当然、売っているようなきれいな箸は一つもできないだろうということです。使いにくい箸が出来上がることでしょう。それを研修期間中、使わなければいけない。箸を見つめていろいろ考えることでしょう。
「ここをこんなふうにしてしまったのは失敗だった」
「こうならないように削るにはどうすればいいんだろう」
「箸として機能しなくなるような致命的な欠陥は何か、何とか使えるようにするにはどうしたらいいか」
「ここ、曲がってる方が使いやすくないか?」

真っ直ぐでない箸がお店に並んでいたら、誰も見向きもしないはずです。不良品だと言って、手に取ることはないでしょう。でも、研修では不良品の箸を何とか使わなければいけない。

さてさて、箸を人間に置き換えたらどうでしょう。みんな、お店に並ぶ箸のように真っ直ぐで同じ形をしているでしょうか。同じ顔、同じ性格、同じ能力の人なんて二人といませんね。

あいつは不良品だと言って、人間を捨てることはできないのです。自分が不良品だとしても、別の人間に入れ替わることはできないのです。この世でも、不良品を何とか使わなければいけないのです。

もし、あなたの隣に字がよく読めない人がいたとします。不良品だと思いますか?そんなヤツ、ろくな仕事ができないだろう。いても邪魔だ!意味がない!捨ててしまえ!と叫ぶでしょうか?

だとしたら、あなたはヘンリー・フォード(自動車王)を、グラハム・ベル(電話を普及させた人)を、ウォルト・ディズニー(映画制作者)を捨てたことになります。自動車に乗らないでください!電話を使わないでください!ディズニーランドで遊ばないでください!

一見、不良品と思える欠陥は、大きな長所となる可能性を秘めているのです。「みんな違って、みんないい」のです。あなたが作った箸、うまくできなかったところがいっぱいあるでしょう。でも、うまくできなかったことで、逆に便利なことはないでしょうか?

そういう気持ちで、グループのメンバーを見つめることができたら、きっと素敵なリーダーになることでしょう。

***

3つ目に思ったことは、例えば曲がった箸を組み合わせることによって、堅くて重いものでもはさめるようになるかもしれないということです。癖と癖を組み合わせることで、お互いの癖が相補的に作用し、癖のない木では作れないような強い建物を立てる…これが、五重塔などを建てた宮大工の極意です。ですから、古来、日本文化の底流に流れている考え方のはずなのですが、今では外国の方でよく見られるような気がします。

オランダの教育では、学生同士がディスカッションをする中で、互いの得手不得手を見つけ出し、補い合ってグループ活動を高めていこうとする学習方法が実践されているようです。

宮大工の棟梁のような工夫が、変な具合に出来上がってしまった箸から始まるとしたら…。

***

考え過ぎました…。