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「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第十二章 空海」(p251〜287)を読みました。

《以下引用(p257)》
人は美しいものには愛情を覚え、醜いものには憎悪をいだく。しかし、無始よりこのかた六道・四生の間を往還するうちに、私たちが経験しなかったような愛と憎しみなどあるだろうか。敵と見、味方と見えたものはすべて仮我が演出した仮の姿ではなかったか。今、あなたが疎ましく思う人が、かつてあなたを慈しみ、育ててくれた両親であったかも知れないのだ。「吾、是れ無始より已来、四生六道の中に父と為り、子と為る。何れの生をか受けざらん。何れの趣にか生ぜざらん。若し慧眼を以て之を観れば、一切の衆生は皆是れ我が親なり」。
《引用終わり》

出典は『性霊集』(巻第八)。『歎異抄』にも「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」という一節があるようです。

ただ、これは「孝」が廃れてしまった現代では、疎ましく思う人が両親だったかもしれないと言われると、余計に疎ましくなったりするかもしれません(笑)。我が子だったかもしれないという方がいいかもしれません。

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