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《以下引用》
受験指南だけが目的なら、なにも計算だけ国語力だけにしがみつかなくてもいい。現在の学年の分だけを根ほり葉ほり、教えていけばいいのだ。偏差値はそうした努力の量にあわせて上がるだろうし、内申点もよくなるはずである。…
しかし、そうして高校へいけば、一人脱落、また一人あきらめて、挫折のなかで、「ただの人」の進路をとっていくのである。じつは、ここにこそ、普通教育と高等教育という複線教育が仕組んだワナがあるのだが、子どもたちにはこれが見抜けない。親でさえそう思わないのだから、当然である。成績があがらないのは、自分の努力不足、生まれつきだと思う。
公が高校の内容を教材にしたのには、当たり前と思われていたこの複線教育への挑戦という意味もあったはずだ。なにも全員が東大に行けというのではない。国立大学へ全員合格など、一言も公は言っていない。大学入試ぐらい、何でもないほどの力をつけて、そして、東大には行かない、これでも結構である。
《引用終わり》
この複線教育という構造は、私の場合、公文式に出会って初めて分かりました。公文式でも今は使わなくなりましたが、Iラインのグラフを見ると一目瞭然なのです。Iラインと並んで学年相当のライン(直線)が描いてあったのですが、この直線の勾配が高校に入ると突然急になるのです。つまり、義務教育と高校からの教育はペースが全然違うのです。それまでと同じペース・方法でやっていたら絶対に間に合わないのです。
結局、私も、自分が入った高校が自分にはレベルが高過ぎたのだろうか?とか、まだ努力が足りないのだろうか?とか、訳が分からないまま三年間が過ぎていました。
このIラインは、幼稚園から高校卒業までを同じペースで勉強することを想定して、決めたもののようです。幼児から高校入学まで緩やかで、高校に入ると急勾配になる学年相当のラインの、始点(幼児期)と終点(高校卒業)を直線で結んだもの。
小林教室では、進度の目安として、今も使っております。
《つづく》
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