「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第七章 単独者」を読みました。
「性」の別は、単に自分が持っていないものに対する求心力以上の意味があります。それは「死」が関わってくることです。
《以下引用》
さらに性の分裂は、決して看過することを許さないもっと重要な意味を含んでいた。それは性が人間に死の運命を与えたことである。男女両性具有の完全な人間が二つの性に分裂した結果、それに続くすべての人間が死の支配下に置かれることになるなどと誰が一体予想し得たであろうか。禁断の木の誡めに遵って人間は性に目覚めるべきでなかったのかも知れない。しかし、人間はこの最も哀切な営みから生まれ出たものであり、人間はそこで悩み、挫折しようとも常に喜びと信頼をこの性の中に求めてきたが、その性が人間に死の運命を担わせることの矛盾、どうしても避けることのできない死が何を結果するかを人は知らなくとも、人間に死の運命を与えたものが性(の分裂)であったということは明確に心に留めておかねばならない。性は人間の生命の根源であるとともに、また死の根源でもあるのだ。
イエスのアポクリュフォンはこの分裂の中に死んだ男と女を再び統合し、性の分離を解消することによって、もはや死を味わうことのない永遠のいのちへとわれわれを連れ戻そうとしていることなど人は知る由もない。ここで人は「死者の復活」が性の分裂とその統合に重ね合わせられていることにはっきりと気づくべきである。
あなたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが男と女を一つにして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、……そのときあなたがたは神の国に入るであろう。(『トマスの福音書』22)
《引用終わり》
以前にも同様のことを書きましたが、球体だった受精卵がしだいに身体の形をなしていく過程で、全く同じDNAを持った夥しい数の「自分」がアポトーシスしていくわけです。しかし、それは輝かしい成長であって、「死」だとは誰も捉えません。
有性生殖は自分の子孫のDNAパターンのバリエーションを増やして、環境への適応を図る営みでもあります。環境に適応できない子孫が死滅することで、そのDNAパターンを抹消し、適応できるパターンだけが残存することに寄与する…これも「種」を守るためのアポトーシスのようにも見えます。
このような生物学的な「死」、アポトーシス。肉体的な「死」にもいろいろあるようです。
《つづく》
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第七章 単独者」を読みました。
「性」の別は、単に自分が持っていないものに対する求心力以上の意味があります。それは「死」が関わってくることです。
《以下引用》
さらに性の分裂は、決して看過することを許さないもっと重要な意味を含んでいた。それは性が人間に死の運命を与えたことである。男女両性具有の完全な人間が二つの性に分裂した結果、それに続くすべての人間が死の支配下に置かれることになるなどと誰が一体予想し得たであろうか。禁断の木の誡めに遵って人間は性に目覚めるべきでなかったのかも知れない。しかし、人間はこの最も哀切な営みから生まれ出たものであり、人間はそこで悩み、挫折しようとも常に喜びと信頼をこの性の中に求めてきたが、その性が人間に死の運命を担わせることの矛盾、どうしても避けることのできない死が何を結果するかを人は知らなくとも、人間に死の運命を与えたものが性(の分裂)であったということは明確に心に留めておかねばならない。性は人間の生命の根源であるとともに、また死の根源でもあるのだ。
イエスのアポクリュフォンはこの分裂の中に死んだ男と女を再び統合し、性の分離を解消することによって、もはや死を味わうことのない永遠のいのちへとわれわれを連れ戻そうとしていることなど人は知る由もない。ここで人は「死者の復活」が性の分裂とその統合に重ね合わせられていることにはっきりと気づくべきである。
あなたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、あなたがたが男と女を一つにして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、……そのときあなたがたは神の国に入るであろう。(『トマスの福音書』22)
《引用終わり》
以前にも同様のことを書きましたが、球体だった受精卵がしだいに身体の形をなしていく過程で、全く同じDNAを持った夥しい数の「自分」がアポトーシスしていくわけです。しかし、それは輝かしい成長であって、「死」だとは誰も捉えません。
有性生殖は自分の子孫のDNAパターンのバリエーションを増やして、環境への適応を図る営みでもあります。環境に適応できない子孫が死滅することで、そのDNAパターンを抹消し、適応できるパターンだけが残存することに寄与する…これも「種」を守るためのアポトーシスのようにも見えます。
このような生物学的な「死」、アポトーシス。肉体的な「死」にもいろいろあるようです。
《つづく》
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