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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「3、自信と余裕がない(1988〜1993)」の「2 公の教育改革、国語が数学をこえる」を読みました。(小林教室収蔵

公文式は計算だけ、と言われ続けてきました。また、勉強だけしていると人間性は成長しないという批判もまことしやかに横行しています。それでスポーツが奨励されたこともありましたが、それから数年して明らかになったことはスポーツマンも悪いことをするということです。

「勉強」をしているから人間性が育たないとか、「スポーツ」をしていると人間性が育つとか、これはやり方しだいだと思います。人間性が磨かれるような「スポーツ」のやり方はあるし、人間性が磨かれるような「勉強」のやり方もあるはずです。

《以下引用》
公文式の原点―それは、子どもにとって公文の学習がおもしろくてたまらない、教室に行くのがうれしくてしようがないという状態であることです。学校ではまるで勉強しないと言われている子が、公文式の教室では見違えるようながんばりと集中の姿をみせてくれることは、先生方がすでによくご存知のことでしょう。その子その子のちょうどのところを与えていくならば、子どもはとても勉強をおもしろがるものであるというこの事実は、学校の先生にはわかりにくく、ちょうどの学習を追求する公文式であるからこそ、発見できたことと言っていいでしょう。(『山彦115』1989)
《引用終わり》

やっていることが何であれ、この状態でいることが大切なのだと思います。

《以下引用》
生徒は、学習の出発点から自分の学年に至るまでの期間に、作業力をつけ、学習に向けての基本的な体力を鍛えていく。しばらくして、学習は、学年相当の教材をこえて、二学年先、三学年先へと進む。この期間が、生徒たちはこれまで経験したことのない集中力、粘り、挑戦力といった、学力以外の能力を必要とするときである。学習はたしかに苦しい。自分だけがなぜ、といったグチも出る。しかし、子どものなかには前向きな向上心がじょじょに育っていく。苦しいけれど、緊張感のある学年以上の学習を終えたあとに見えてくるのが、高校内容の教材。自習力が十分でないと、へこたれてしまう教材群である。内容ももちろん高度であるが、自分自身で学ぼうとする意欲が必須となる場所でもある。この期間に、生徒は自律的な学習姿勢を形成することの大切さを学ぶ。
《引用終わり》

これは、武道の道場に近いかもしれません。昔の運動部にも道場のような雰囲気がありました。

国語力の大切さに気づいた公会長は、海外の活動にも取り入れていきました。1990年(平成二年)9月には、オーストラリアで英英教材を使用開始しました。その後、ブラジル人のポルトガル語教材、中国人の簡体字教材・繁体字教材、アメリカ人のための米語教材などが開発されました。

《つづく》