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L教材の80番まで終わりました。

『荀子』は、諸子百家の集大成を為したと言われるだけあって、思想として緻密な感じがします。これに比べると、孔子・孟子の理論はスカスカな感じがして、後世何故あれほどメジャーになったのかがよく分かりません。スカスカな部分を好きなように肉付けする余地があったから多用されたのでしょうか?

論語では学の必要性を何度も訴えていますが、性善説ベースで説明されるよりも、『荀子』のように性悪説ベースで語られた方が説得力があります。

引用文の中で、「文る」を「かざる」と読んでいるところがあり、「文」を装飾の意味に解釈しているところがあります。私は今まで、文系理系というように、「文」と「理」を対極に置くことに納得できなくていたのですが、これでスッキリしました。一つの事実をより興味深い物語に飾っていくのが文系であり、そういった装飾をどんどん取り除いて本質だけを見究めようとするのが理系だということなのだと思います。

「青は藍より出でて藍より青し」の出典は『荀子』だったのですね。

そして、「矛盾」の出典が『韓非子』です。矛と盾を売り込む商人の話だとばかり思っていたのですが、本題は儒家に対する痛烈な批判だったのですね。

古代シナの論理思想は『荀子』において頂点となり、これに『韓非子』が矛盾律を加えることで完成したという解説文が引用されています。

両者の論理性の高さに比べると、孔孟の論理性の低さは歴然としており、何故「論語」などという名前なのかと不思議に思うほどです。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-080〕