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公文式に関して、よくいただく質問(FAQ)について、私なりに回答しています。事務局や、他の先生方や、私の妻が回答すればまた違った答えになると思いますので、その辺はおくみとりいただいてお読み下さい…

今回は、「可哀そうじゃないのか?」という質問です。「公文式にはいつごろから通わせるのがベストか?」と尋ねられると、最近は「赤ちゃんから」とお答えするのですが、そうすると大抵尋ねられるのがこの質問なわけです。

小さいうちは好きなように遊ばせてあげたい、せめて学校に入るまでは自由に…という気持ち、私も親ですから充分に分かるつもりです。でもこれは、就学前の幸せと、就学後の幸せと、親として子どもにどちらを贈りたいか、という選択なのだと思います。

人間は、おそらく、一番未完成の状態で生まれてくる動物だと思います。生まれてから完成されていく部分が他の動物と比べて一番多いということです。手とか足とか骨盤とか、生まれてから完成されていくのですが、脳も例外ではありません。

脳神経のネットワークは生まれてからも盛んに構築されていくわけで、「三つ子の魂百まで」と言われるように、脳の根幹部分は就学前に構築されるようです。ゆえに就学前の勉強が重要になってくるわけです。勉強に限らず、音楽や運動の能力も就学前が勝負のように最近は言われてきています。

こういった事実を踏まえると、就学前の数年間にこういった能力開発をさせないのは勿体ないと思うのです。

この時期に能力を高めておけば、余り勉強しなくても分かる、余り練習しなくてもピアノが弾ける、スポーツができる、という人になれるのです。

確かに、小さい子どもが楽しそうに遊んでいる姿はとても微笑ましいことです。しかし、物心つかないうちの楽しさよりも、物心ついてからの楽しさの方が、子どもとしても結局のところ幸せなのではないかと思うのです。

さらに言えば、勉強がつらいというのは大人の思い込みなのであって、子どもにとってつらいかどうかはわかりません。公文式の場合には、童謡を聴くことから始まって、カードを使って言葉を覚えたり、文字を覚えたり、数字を覚えたりします。大人の言っていることが、どんどんと分かるようになるのは楽しいことなはずです。

ものを覚えるのは、小さければ小さいほど実は楽しいはずなのです。「えっ!もうこんな言葉知ってるの?」「もう、こんな字が読めるの?」「漢字が書けるの!?」「九九が言えるの!?」と、小さければ小さいほど、大人は大袈裟に、演技でも御世辞でもなく、驚いてくれます。子どもとしては、こんな愉快なことはありません。ますます、勉強をします。そうして、余り勉強しなくても分かるようになれたなら、ずっとずっと楽しい学校生活がおくれるはずです。

逆に、ものを覚えるのが遅ければ遅いほど、勉強はつらいものとなるはずです。「えっ!○年生なのに、こんなこともわかんないの?」そうハッキリは言わなくても、大人は無意識にそんなリアクションをしてしまうし、そんなちょっとした素振りでも十分に子どもは傷つくものです。

こちらの方が可哀そうではないでしょうか?

《つづく》