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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第五章 真知の覚(グノーシス)」を読みました。

《以下引用》
真珠は泥の中へ投げ込まれても、価値を失いはしない。…神の子たちについてもちょうどそれと同じである。彼らがどこに居ることになろうとも、それでも、彼らは彼らの父にとっては常に変わらない価値を持っている。(『ピリポの福音書』)
《引用終わり》

これと似た例えは『如来蔵経』にたくさんありました。

《以下引用》
イエスが言った、「私は彼らのすべての上にある光である。私はすべてである。すべては私から出た。そして、すべては私に達した。木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう」。(『トマスの福音書』77)

神は至るところに存在する。人間だけではなく自然の中にも神は存在するが、それはひとえにわれわれの「見る」能力に関係している。尊いのは人間だけではなく、見るものすべてが神なるもの(神性)を顕しているから尊いのだ。人も物も利用価値があるかどうかという価値基準で動いているところに現代社会の病巣の一つがある。…

ともあれ、宗教を考える場合、尊大になるのでも、また不当に自分を蔑むのではなく、「真珠は泥の中に投げ込まれても、価値を失いはしない」と言ったイエスの言葉だけは心に留めておいて良いだろう。
《引用終わり》

目ある者が見れば、この世は全て光り輝いている…

《つづく》