「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第四章 永遠の故郷」を読みました。
《以下引用》
宗教とは本来、外側を探し求めた末に、一つとして真に安らげる場所もなければ、移ろう時間の中に真実はないと知った者が、内側へと目を転じたところから始まる。その旅を歩み始めた者がたとえどれだけいたとしても、本質的にその旅は全く独りの旅であるだろう。なぜなら、少なくともプレーローマへと辿る旅の初めは自分自身と向き合うことになるからだ。…
《引用終わり》
「旅人は自分の家の戸口に辿りつくまでに、他人の戸口を一つひとつ叩かなければならない。…」というタゴールの言葉は「瞑想の心理学」でも引用しました。やはり、目に止まるのは同じフレーズです。
《以下引用》
…このタゴールが言う「内奥の神秘」こそ宗教が説こうとしているものであり、宗教はそれを「隠れた宝」(共観福音書、スーフィズム)、「自家の宝蔵」(禅)、「一つの真珠」(グノーシス)、「摩尼宝珠」(仏教)など、さまざまに呼んだのだ。
まことに、神は造りたもうてのち立ち去ったのではなく、これらのものは神からでながら神のうちにある。一体、真理はいずこにましますか。いずこにおいて味わわれ得るか。心の最も奥深いところにおいてだ。しかるに心は、そこからさまよい出てしまった。道をはずしたものたちよ、心に立ち帰れ。(アウグスチヌス『告白』)
《引用終わり》
《つづく》
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第四章 永遠の故郷」を読みました。
《以下引用》
宗教とは本来、外側を探し求めた末に、一つとして真に安らげる場所もなければ、移ろう時間の中に真実はないと知った者が、内側へと目を転じたところから始まる。その旅を歩み始めた者がたとえどれだけいたとしても、本質的にその旅は全く独りの旅であるだろう。なぜなら、少なくともプレーローマへと辿る旅の初めは自分自身と向き合うことになるからだ。…
《引用終わり》
「旅人は自分の家の戸口に辿りつくまでに、他人の戸口を一つひとつ叩かなければならない。…」というタゴールの言葉は「瞑想の心理学」でも引用しました。やはり、目に止まるのは同じフレーズです。
《以下引用》
…このタゴールが言う「内奥の神秘」こそ宗教が説こうとしているものであり、宗教はそれを「隠れた宝」(共観福音書、スーフィズム)、「自家の宝蔵」(禅)、「一つの真珠」(グノーシス)、「摩尼宝珠」(仏教)など、さまざまに呼んだのだ。
まことに、神は造りたもうてのち立ち去ったのではなく、これらのものは神からでながら神のうちにある。一体、真理はいずこにましますか。いずこにおいて味わわれ得るか。心の最も奥深いところにおいてだ。しかるに心は、そこからさまよい出てしまった。道をはずしたものたちよ、心に立ち帰れ。(アウグスチヌス『告白』)
《引用終わり》
《つづく》
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