私の両親は共働きでしたので、保育園に入るまでの間、私を見て下さった方がいます。自分にも子どもができて、その方に対する感謝は深まりました。最近は御自分の友人を私の顧客として紹介して下さったりという御恩もあります。育ての親だと思っています。この方をOさんとしておきます。

Oさんは数年前から認知症がひどくなりました。老人ホームでベッドから落ちて、お年寄りによくある大腿骨頚部骨折で入院した時お見舞いに行きましたが、私のことはもう分からなくなっていました。嬉しそうに話しかけては下さるのですが、誰かと間違っているようでした。

昨年末に嚥下困難となり肺炎を何度も繰り返すことから、最近でもいろいろ議論されている胃瘻の処置が取られました。それでも私は、骨折で入院した時以来、Oさんには会いに行かずにいます。

さて話は変わりますが、Oさんに紹介していただいたSさんは十年来のお客様です。開業当初から、施術に関して、お客様の立場でアドヴァイスをいただきました。親身になっていろいろなことをお話し下さり、師匠のようでもあり母のようでもある、そんな大切な方です。

この方は先日亡くなられたのですが、一年前に、今となっては最後にお会いした時、「あなたにはもう会いたくないな」と言われたのです。私は大変驚きました。彼女は続けました。「私だって女だよ。こんな醜い姿を、もう人に晒したくはないよ。」とおっしゃったのです。

確かに寂しい言葉ではあったのですが、患者と治療師という事務的な関係では無くなったような気がして、嬉しいような複雑な気持ちでした。

また、Oさんに戻ります。Oさんが私のことが分からなくなってから、どうしても会いに行くのを躊躇っています。もう、Oさんの本質のようなものはそこには無くなっているような気がして、その本質はもう高い所にあって私たちを見ているような気がする…そんな気持ちです。

最近のOさんも元気だということですが、矍鑠(かくしゃく)とした昔の雰囲気は無くなっているはずです。胃瘻の処置を受けて、何も分からずに生きている姿を見るのは、私にはどうしても辛いのです。Sさんのこともあって、Oさんが今の自分の姿を見られたいだろうか…とも思うのです。

世話をする人がいない状況であればともかく、実の娘や孫たちも面会に行っているようです。特に、娘さんは毎日。車ですれ違うこともよくあるのですが、やはり私は躊躇い続けています。不義理と謗られるかもしれないという危惧もあるのですが、だから会いに行くのも本当では無いような気がします。

そんな、言い訳を、ここに書いてみました…。