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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第二章「現象論―三界唯心」の「心は心を見ず」を読みました。

《以下引用》
心あって心をしらず
心は心を見ず
心に想を起こさばすなわち癡なり
無想はすなわち泥恒なり
《引用終わり》

『天台小止観』で引用されているそうですが、もともとは『般舟三昧経』の中にあるようです。

《以下引用》
…これは『起信論』の「心にして心を見ずんば」を容易に連想させる。しかし、このように言うと、心は無くなってしまうかのような印象を与えるが、そうではない。それはこれまでの説明からも分かるように、妄心(妄念)がないこと、『起信論』の中でよく使われる無念という意味であり、真心までもがなくなってしまうのではない。あえてこの文章を文脈に沿って読み換えるならば、「真心あって妄心をしらず 真心は妄心を見ず」となろうか。
《引用終わり》

私が容易に連想したのは「心こそ心迷わす心なれ 心に心、心許すな」です。そこ、ここと、ころころ変わるのが、心なんですね。

《つづく》