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「瞑想の心理学」(法蔵館)
序章「『大乗起信論』概説」の「心真如と心生滅」を読みました。

《以下引用》
この心の真如の相(心真如)はすなわち摩訶衍(大乗)の体を示すが故なり、この心の生滅因縁の相(心生滅)は能く自らの体と相と用を示すが故なり。(『起信論』23)

とあるように、『起信論』はわれわれの心を心真如(真心)と心生滅(妄心)の二相に分ける。そして、心に二相あることから、サンサーラ(生死)の世界とニルヴァーナ(涅槃)の世界に分かれてくるのだ。妄心(心生滅)ならば世間法、すなわち生死輪廻する世界に入っていくが、真心(心真如)ならば出世間法、すなわち涅槃の世界へと帰っていく。このように、心が二相に分けて考えられているところに、『起信論』における心の理解の大きな特徴がある。

これと同じ文脈で言われているものに、無着の「二分依他」(『摂大乗論』)をあげることができるだろう。「生死とは、謂く依他起性の雑染分なり。涅槃とは、謂く依他起性の清浄分なり。」

…このように、われわれの内側には何の脈絡もない想念が途絶えることなく流れているが、われわれはその事実にさえ気づいていない。この心(妄心)がわれわれを生死の絆に繋ぎ止め、あらゆる問題を作り出していることから、いずれ方法論を扱うところでこの心と取り組むことになるだろう。そして真心を知ることで、サンサーラの世界はニルヴァーナの世界ともなる。これが『起信論』が、そして、これからわれわれが辿ろうとする道なのだ。
《引用終わり》

『意識の形而上学』では「真如の二重構造」として取り上げていた内容だと思われます。

『唯識入門』での参照箇所はここら辺でしょうか。

いろいろ読み比べながら、理解を深めていきたいと思います。

《つづく》