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「空海の夢」(春秋社)
「8.陰と陽」を読みました。

《以下引用》
…このころ(『聾瞽指帰』を書いたころ)の空海は出家の決断のために儒教・道教を排してはいるものの、とくに道教的隠逸思想については世間の名利を遠ざけ一人神仙の道を求めるものとしてかなりの評価を与えている。それでも青年空海は道教を捨て、仏教に入る決断をする。空海の道教批判を一点に絞れば、そこには自他救済の慈悲が説かれていないということだろう。逆にいえば、それ以外の面では、空海はひそかにタオイズムに憧れていたということになる。

忘れてならないのは、この出家宣言ともいうべき『聾瞽指帰』の段階では、空海はまだ密教の本体を知ってはいなかったという点である。

仮名乞児の説く仏法はむしろ仏教一般の特色に近かった。やがて七年後、長安に二年を遊学するうちに空海は密教構想の何たるかを知った。しかもそれは不空一行の呪術的色彩の濃い密教と、恵果の示す内観性の強い密教とであった。空海はそのいずれものエッセンスを踏襲し再編成をくわだてる。すなわち空海は出家のためにいったん方士や道士の思想を捨てたのではあったが、その後に密教の裡にその共鳴内在する音を聞きあて、巧みにみずからの真言密教の体系にこれを取捨選択するにおよんだとも考えられるのだ。

空海がタオイズムから取捨選択したものとは、いわば「観念技術」であった。
…《引用終わり》

観念技術とは…

《以下引用》…
モノとは「霊(もの)」であって「物(もの)」であり、コトとは「言(こと)」であって「事(こと)」である。上代日本語のモノとコトは観念と言葉と事物および現象を分別しなかった。分別しないことによってトータルな世界観を維持できた。…このことはさらにモノとモノ、コトとコトの類感共鳴の呪術的波及を可能にしてしまう。…そうしたなかに大陸や半島から天文遁甲や方術が導入されてきたのである。その導入は仏教よりも早かった。これを日本では一般に陰陽道あるいは陰陽五行思想と言ってきたが、私はアジア的性格をこめてあえて「陰陽タオイズム」と呼ぶことにしたい。すでにのべたように神仙タオイズムとの差を特徴づけるためでもある。
《引用終わり》

ダジャレみたいなもの?

《以下引用》…
やがて仏教が導入されて朝廷にもこの余波がおよぶと、聖徳太子に顕著にみられるような儒・仏・道の習合が促進する。表立った体系は仏教により、倫理は儒教により、裏の縫目は陰陽タオイズムの糸によるという方法だ。
《引用終わり》

日本人が、和洋折衷とかチャンポンとか得意なのは、この辺りからの伝統なのですね。親父ギャグもかな。

《以下引用》…
すなわち、大学在学中に求聞持法などの雑密パワーを知ってこれに投じようとした空海は、いったん山林優婆塞の仲間入りをしたのちに、ふたたび密教に向かったのである。そういうコースを選んだのではないかということだ。…空海が山林に修行したことは疑いを入れないし、その著作の随所にひそむ言葉づかいから、あきらかにタオイズムの洗礼をどこかで受けていたことだけは確実であった。空海は陰陽タオイストにも神仙タオイストにもならなかったが、後日、密教タオイストとしての性格を発揮する人であったのだ。
《引用終わり》

空海の親父ギャグ、聞きたいな…。

《つづく》