テレビ地上波の次は、学校の教科書がデジタルになるようです…。
情報革命に関するNHKの「大人ドリル」を見ました。デジタル教科書の全面導入を10年後に設定し、文科省が検討に入っているというのは驚きました。うちの娘はギリギリで中学校を卒業するかどうかくらいですから、関係ないと言えば関係ないのですが、その世の中の動きに無関係ではいられません。
公文の塾は続けているでしょうから、どんなふうに対応していくかという問題もあります。
ナンセンスな冗談を笑うためには、常識的なセンスが前提にあります。常識が無ければ非常識は分からない。バーチャルとリアルもそんな関係にあると思います。現実社会(リアル)に充分馴れ親しんでいない小学生が、いきなり仮想社会(バーチャル)に入り込んでしまっていいのか?という不安はどうしてもぬぐえません。仮想空間の中だけで生きていくことはできないですからね…。
しかし、技術の進歩は、仮想空間に全く関わらずに生きていくことをも難しくしています。
お年寄りに言わせれば、パソコンでいろいろなことができるようになることは、むしろ世の中が厄介でややこしいものになるだけのようです。薪でお風呂を沸かすしかない時代の方が、簡単で分かりやすかった…。
新しい技術への対応を考えるときに、いつも思い出すことがあります。会社勤めしていたころに聞いた話ですが、「マシン語が分かる人の方が、高級なプログラミング言語しか知らない人よりも良いプログラミングをする」ということ。私はハードウェアの設計をしていましたから、「トランジスタ・レベルで設計したことがある人の方が、論理回路しか分からない人よりも良い設計をする」というふうに置き換えて、納得していました。
これをヒントに考えれば、現実社会での積み重ねの多い人の方が、仮想社会でも活躍できる可能性があると言えそうです。NHK趣味悠々のパソコン講座を担当されている中谷日出解説委員によれば、高齢の方のブログの方が読み応えがあるとのこと。
しかしながら、回路設計業界がそうであるように、昔の技術ばかりではもうやってられない。トランジスタレベルから人手でLSI設計をしていたら、一生かかっても一つも仕事が終わらないことでしょう。
仮想社会はどんどん膨れ上がり、そこにかかわる時間がどんどん増えていくのがこれからの時代の趨勢であることは間違いありません。
そうなると、やはり教科書もデジタルでなければいけないんでしょうかね…。
情報革命に関するNHKの「大人ドリル」を見ました。デジタル教科書の全面導入を10年後に設定し、文科省が検討に入っているというのは驚きました。うちの娘はギリギリで中学校を卒業するかどうかくらいですから、関係ないと言えば関係ないのですが、その世の中の動きに無関係ではいられません。
公文の塾は続けているでしょうから、どんなふうに対応していくかという問題もあります。
ナンセンスな冗談を笑うためには、常識的なセンスが前提にあります。常識が無ければ非常識は分からない。バーチャルとリアルもそんな関係にあると思います。現実社会(リアル)に充分馴れ親しんでいない小学生が、いきなり仮想社会(バーチャル)に入り込んでしまっていいのか?という不安はどうしてもぬぐえません。仮想空間の中だけで生きていくことはできないですからね…。
しかし、技術の進歩は、仮想空間に全く関わらずに生きていくことをも難しくしています。
お年寄りに言わせれば、パソコンでいろいろなことができるようになることは、むしろ世の中が厄介でややこしいものになるだけのようです。薪でお風呂を沸かすしかない時代の方が、簡単で分かりやすかった…。
新しい技術への対応を考えるときに、いつも思い出すことがあります。会社勤めしていたころに聞いた話ですが、「マシン語が分かる人の方が、高級なプログラミング言語しか知らない人よりも良いプログラミングをする」ということ。私はハードウェアの設計をしていましたから、「トランジスタ・レベルで設計したことがある人の方が、論理回路しか分からない人よりも良い設計をする」というふうに置き換えて、納得していました。
これをヒントに考えれば、現実社会での積み重ねの多い人の方が、仮想社会でも活躍できる可能性があると言えそうです。NHK趣味悠々のパソコン講座を担当されている中谷日出解説委員によれば、高齢の方のブログの方が読み応えがあるとのこと。
しかしながら、回路設計業界がそうであるように、昔の技術ばかりではもうやってられない。トランジスタレベルから人手でLSI設計をしていたら、一生かかっても一つも仕事が終わらないことでしょう。
仮想社会はどんどん膨れ上がり、そこにかかわる時間がどんどん増えていくのがこれからの時代の趨勢であることは間違いありません。
そうなると、やはり教科書もデジタルでなければいけないんでしょうかね…。
コメント
コメント一覧 (7)
本屋さんは…キンドルとか売りますか?ケータイで当たり前に本が読める時代になりつつありますね…。
2、3日中に伺います!本を買いに。
ザーッと受け流してしまう希薄さと、流されまいと自ら濃密さを増して受け手に食らいついてくる情報と…。こういう社会での身の処し方を考えていかなけれななりませんね。
辞書は同感です。何か例を挙げろと言われると、私も辞書が頭に浮かびます。辞書を手にした時の質感と、薄いページをペラペラめくる感覚と、インクの匂いと…象徴的な感じがします。
薄っぺらな端末で検索して、ピッと答えが出てしまったら、有難みが無くて、記憶に残りそうにないです。
これは仏教云々というより、全体的な傾向として。
人類史において、智慧が知識に席を譲ってかなりになりますが、今や知識も情報に席を譲る状況に立ち至った、ということでしょうね。
デジタルだと対象に対する結合の度合いが受け身で濃密・高刺激になるような気がするので、妄念がより強固なものになるような気がします。
でも、それに付随して起こる身体感覚の希薄化・欠落が良い結果を産むとは思えないんですよ。特に子供に関して。
時代に取り残される恐怖というものが私にはほとんどないので、私自身は今後も自分が大切と思うことを好きなようにやりますが、仮に子供が私にいたとしても、社会生活上必要なデジタルを道具として使えるようにはしますけど、少なくとも身体感覚を忘れないように、辞書くらいは手で引かせると思います。結局その程度かよ、って感じですが(笑
この流れは変えようがないでしょうから、親はともかく子供が取り残されないよう、配慮しなければならないでしょうね。
さて、仏教のデジタル化ですが、お経のCD、仏像やマンダラのデジタル画像、という点ではデジタル化は現実に進行しているわけですね。これにアナログ同様の御利益があるのか?なんていう議論はあるんでしょうかね?
これまでにも、言葉で表せるのか?とか、サンスクリット語以外でもOKなのか?とかいう議論はあったのでしょうね。仏像やマンダラが作られる以前には、銅像や絵で表現できるのか?という議論もきっとあったことでしょう。
そして現在に至っていると考えると、難なくデジタル化が進んでいきそうな気もしますが…。
私だってパソコンを使っているわけだし、i-padにも若干の関心はあります。
とは言え、過剰なデジタル社会の到来によって、失われていくものがとても多くなると思うんですよね。
デジタルに関わらなくても生きていけるサンクチュアリは必要だと思います。そのうち仏教の経本もデジタルになるかも知れませんし、恐らくなるでしょうが、そんなんでいいのかな…モノの多様な質感を忘却し均質化した宗教もしくは精神世界は、非常に危ういわけですから。
私は紙の本でなくては無理なので、いまだに電子辞書すら使わない頑迷固陋な人間ですが、電子書籍がフツーになれば、恐らく情報処理能力(情報操作能力…でしょうか)が極めて高い実利的な人たちが社会を動かすようになる筈です(すでになっていますね…)。
それとともに、実利とは直接には結びつかない内省的な思索は衰退して、哲学や堅牢な宗教思想は崩壊し、ポストモダン的インチキ哲学や軽薄なスピリチュアルが跋扈するように…これも既にそうなっていますが…それが一般にもスタンダートになり、既存の宗教や哲学の良質な部分は、アナログ世代の死亡とともに、過去の遺物として博物館に並ぶのでしょうね。
…並べばまだいいですが(笑
自虐ではなくて、ホント実際問題。
それにしても、あと20年もすれば日本から書店はなくなりそうですね。
古書店はもう少し頑張れるかも知れないですが、電子書籍では恐らく「売れ筋」の本しか出しませんので、私が買うような売れて数千部、普通は千部前後の専門書など、恐らく出版されなくなるのでしょう。
そうなれば、愈々日本の学術・文化レベルは崩壊です。
私は精々、今出ている本を買い溜めしておくようにします…近いうち、続々と入手不能になるでしょうから。