ブログネタ
司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十七」を読みました。

《以下引用》
愛などとは、いかにも唐突だが、仏教徒においてはかならずしも高貴な感情とはされない。覚者の境地としては、むしろ愛から止揚されて純化した慈悲という普遍的な精神とはたらきが尊ばれ、なまの愛はほぼ否定される。ときに、極端に否定される。貪欲、妄執、とおなじ内容としてとらえられ、さらには、男女が相擁して離れがたく思うという性愛としてとらえられる。
《引用終わり》

「愛」の兜という捉え方は、やはり間違いですね…

最澄は泰範に対して、そういう感情を多少は持っていただろう、と司馬遼太郎は書いています。私も、そう解釈するのが自然だと思います。戦国武将では男色が珍しくありませんでしたから、更に前の時代ということになると何があってもおかしくはありません。プラトニックだったとは思いますけど…。

最澄が泰範に送った手紙の内容は、自分を棄てた恋人に対する未練がましい恨み事に似ています。泰範が書くべき手紙を空海が代筆し、弟子を守ろうとするのも分からないではない。それで、きっぱり弟子共々、最澄への絶縁状とできれば一石二鳥。

最澄は己の「愛」の感情をコントロールしかねていると言えるでしょう。このような人に理趣経を見せることは危険極まりない…。

《以下引用》
泰範は空海に魅せられていたことは、たしかである。
魅惑されたのは、空海の人格によるのか、空海の教学によるのか、泰範にいわせればそれは不二だというにちがいない。…密教の師弟の関係は、他と異なり、師そのものが法である以上、弟子である側にとっては師は大日如来であらねばならない。すくなくとも弟子がそのように信じこまねば、密教における師弟関係は成立しないのである。…まして泰範は熱心な密教行者である以上、そういう姿勢をとりつづけていたであろう。…あるいは空海に対して愛をおぼえることも、ありえたであろう。愛は、釈迦の仏法と異なり、密教においては自然そのものであるとして、菩薩の位であるとされている。空海もまた泰範に愛情をおぼえていたとしても、そのことは――それを宇宙機能の一表現と感ずるかぎりにおいては――空海の教理にすこしもさからわない。
《引用終わり》

中国の仏教も奈良仏教も宗派間の行き来は自由だったのですが、泰範の事件以後、日本の仏教は他宗派に対して閉鎖的になったということです。

《つづく》