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「釈尊の生涯」(春秋社)
「12.ベナレスにおけるヤサなどの教化」を読みました。

ミガダーヤ(鹿野苑)のあるベナレス(バーラーナシー)は釈尊時代の二三百年前から賑わっていたと考えられ、富裕な商人が数多く存在した。その豪商の子、ヤサに行われた説法が施論・戒論・生天論の三論と言われています。※三論宗の三論とは別です。

これは、仏教以前からウパニシャッドなどで説かれて来た業報因果の説です。釈尊当時のインド思想では最も健全穏当な学説でしたが、仏教の正しい教理学説を理解するために役立つものだったのでヤサに説いたと考えられます。

施論(施与慈善の話):常に慈悲の心がけをもって、困窮者や宗教家などに、衣食住などの施与をなすこと。

戒論(戒律道徳の話):生物を殺傷せず、他の金銭財物を盗まず、うそをつかず、よこしまな姦淫を犯さず、というような戒律を守り、常に道徳的な生活を続けること。

生天論(幸福な天国に生まれる話):上記の二つをを守っていれば、その応報として、来世には天国に生まれて、幸福な生活を送ることができる。逆に守らなければ、来世は必ず地獄に生まれて、苦難不幸の報いを受ける。

原始仏教の十善が大乗仏教で十善戒になったということですが、この戒論がルーツかも知れません。

仏教を知らない初歩の者には当時のインドでは常識的な上記の三論を説き、相手が業報思想を理解し因果の道理を正しく信ずるようになると四諦を説くという方法を、釈尊は取りました(次第説法)。

ヤサの友人たちなどに教えは広まり、阿羅漢が約60人になりました。この人たちが布教活動を始めることになります。

《以下引用》
…仏教の目的は、社会全体が平和で幸福になることであって、単に出家者のみのものでない…。むしろ出家者は在家者のためにあるのであり、世間の大部分を占める在家者を全体的に向上発展させるのが仏教の目的である。この関係は、医者と民衆との関係にも似ている。…医学や医術は医者のためにあるのではなくして、一般民衆のためにあるのである。これと同じく、民衆の精神的病気を治療すべき出家者は、民衆指導のために仏教を学び仏道の修行をするのであって、仏教は僧侶のためにあるのではなく、一般民衆のために存在するのである。
《引用終わり》

出家は当時のインドの習慣のようなものなので、仏教教団も自然とそれに倣ったということでしょう。

ですから布教形態は、時代や場所に応じて、変化していいと、私は思います。

《つづく》