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「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十一」を読みました。

空海は京の高雄山寺に移りました。この時期の前後、空海は密教の教相判釈を行っていると考えられます。

《以下引用》
…仏教渡来以来、この時期までに日本にもたらされた仏教は、奈良六宗もまた最澄の天台宗をもふくめ、中国で完成されきったものを、そのまま将来して、定着し、そこに独創を加える必要も余地もなければ、もともとその気分もなく、ただ海を渡って移動したものであるにすぎなかった。完成されきっているというのは、解説書から批評についての論集もそろっているという意味である。…

空海の場合は、…かれがもたらしたかれの密教だけはそれ以前のものと事情が異っており、空海自身がそれらを作りあげねばならなかった。…

空海は、インドにも唐にもなかった「真言宗」という体系を樹立するのだが、このために、「横の教判、竪の教判」といわれるすべての仏教から縦横に密教を見る理論をつくりだす必要があり、また密教がそれを可能だと主張する即身成仏という最終目的についても、他の批判に堪え、かつ誰にも理解できる理論をつくりあげねばならない。顕密二教の判釈ということについても、そうであった。顕教とは外側から理解できる真理――天台宗をふくめてすべてのいままでの仏教――であり、密教とは真理そのものの内臓に入りこみ、たとえば胃そのものになり、脾そのものになり、肝そのものになり、それらの臓腑がうごくとともにうごきつつ宇宙に同化するという行法と理論をいうのだが、空海としては顕教の本質を暴露しつつ密教が顕教をも包摂する最高の仏法であるということをあきらかにせねばならない。
《引用終わり》

その作業に多忙をきわめる空海の下へ、そんな作業を全くする必要のなかった最澄から使いが来ます。「密教の経典を拝借したい」と。

顕教と同じように、密教も書斎の作業として独習しようとしているらしい…。

《つづく》