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十無記…ブッダが回答しなかったこと。

いずれも科学的には証明できない、将来的にもできそうもない事柄です。それらにコメントしなかったということは、仏陀は科学的センスをも備えていたと言えます。

儒教も「怪力乱神を語らず」と言い、孔子も分からないことは分からないとはっきり言う人だったようです。

西洋文明が科学的センスを身につけたのがカントの辺りだったとすると、随分時間の隔たりを感じます。一様に比較はできないでしょうけれども…。

科学が当たり前になった今日、私たちはこういった問題の答えを宗教に求めがちですが、少なくとも仏教では取り扱っていないのです。

逆に言うと、こういった問題を専ら取り扱っているような宗教とか団体とかお店とかは、怪しいと考えるべきです。

さて、日常の些細なことでも、証明できないことってあります。散らかしっぱなしにしたのは誰か、みんなが使うものをどこかに置きっぱなしにしたのは誰か、相手を傷つけるような言葉を最初に使ったのはどっちだったか…

こんなことをするのはいつもアナタだ!という先入観も手伝って、防犯カメラや録音も無いとなれば、この機会にいつもの不満をぶちまけてやろう!と思うことがあります。

こっちは証明できないから付け込んでいるわけですが、相手からも付け込まれかねない弱点でもあります。だから、ついつい、語勢で押し切ろうとする…。

向きになってしまう。

無記とすべきことほど、言いたい放題だから、つい向きになって強く言ってしまいがち。これも無明スパイラルの一端のような気がします。

向きにならずに、無記でいきましょう!