2月7日の日本経済新聞、サイエンスの欄で、金(ゴールド)に関する記事を読みました。化学反応が起きにくい安定した金属ですが、ナノメートル(nm:ナノは10億分の1)単位の超微粒子になると、かなりラジカルなものに豹変するという話。
色も変わるというのが面白かった。直径50〜100nmで紫、20nmで濃い赤色、10nm以下では黄に近づくそうです。
例えば20nmで、なぜ赤く見えるかと言えば、金属の周りを巡る電子が振動し緑の光が吸収され、緑と「補色」の関係にある赤が強調されて見えるから…
この色の見え方の説明が良かった。初めて出くわしたわけではありませんが、今回はとっても示唆的に響いたのです。
赤い物が赤く見えるのはなぜか?緑の光を吸収するから。ここまでが科学の話。ここから先が「念中仏仏」です。
全く偏りのない光が、皆に平等に、降り注いでいる。しかし、緑に執着するモノは緑の光を放さない。故に、そのモノが発する(反射する)光には緑が欠落している。そのモノは偏った存在として見えることになる。つまり、赤いモノとして見えることになる。
全く偏りがない光とは、いわゆる白い光です。光の三原色(Red,Green,Blue)がバランス良く配合された色。全てを含む色。言うなれば「空」の色です(「そら」と読まないでね)。
光の緑成分を蔽うと考えれば、客塵煩悩のようでもあります。執着を無くせば、偏りは無くなり、「空」の境地に近づく…これが、第一の教訓です。
赤いモノ、赤に偏っているモノとは、赤の成分が突出していると捉えるのが普通の見方です。だから、赤いモノを更生させるには、赤い成分を抑えてやろう、削ってやろう、妨げてやろう、と発想するのが普通です。
赤いモノを矯正するには、教育するには、救済するには、赤い成分を抑えることだ…。でも、これは、緑に執着していたモノに、さらに赤に対する執着をも植えつけることにはならないでしょうか?
煩悩を減らそうとして、実は煩悩を加えている…
赤いモノには、赤を削るのではなくて、緑を補ってあげなければいけない。緑を補い、緑への渇望を癒し、執着を無くしてあげなければいけない。
これが第二の教訓。まあ、教育やカウンセリングの現場で応用するには、全く参考にならない、具体性の無い話ではありますが、例え話としては面白いんじゃないでしょうか。
色も変わるというのが面白かった。直径50〜100nmで紫、20nmで濃い赤色、10nm以下では黄に近づくそうです。
例えば20nmで、なぜ赤く見えるかと言えば、金属の周りを巡る電子が振動し緑の光が吸収され、緑と「補色」の関係にある赤が強調されて見えるから…
この色の見え方の説明が良かった。初めて出くわしたわけではありませんが、今回はとっても示唆的に響いたのです。
赤い物が赤く見えるのはなぜか?緑の光を吸収するから。ここまでが科学の話。ここから先が「念中仏仏」です。
全く偏りのない光が、皆に平等に、降り注いでいる。しかし、緑に執着するモノは緑の光を放さない。故に、そのモノが発する(反射する)光には緑が欠落している。そのモノは偏った存在として見えることになる。つまり、赤いモノとして見えることになる。
全く偏りがない光とは、いわゆる白い光です。光の三原色(Red,Green,Blue)がバランス良く配合された色。全てを含む色。言うなれば「空」の色です(「そら」と読まないでね)。
光の緑成分を蔽うと考えれば、客塵煩悩のようでもあります。執着を無くせば、偏りは無くなり、「空」の境地に近づく…これが、第一の教訓です。
赤いモノ、赤に偏っているモノとは、赤の成分が突出していると捉えるのが普通の見方です。だから、赤いモノを更生させるには、赤い成分を抑えてやろう、削ってやろう、妨げてやろう、と発想するのが普通です。
赤いモノを矯正するには、教育するには、救済するには、赤い成分を抑えることだ…。でも、これは、緑に執着していたモノに、さらに赤に対する執着をも植えつけることにはならないでしょうか?
煩悩を減らそうとして、実は煩悩を加えている…
赤いモノには、赤を削るのではなくて、緑を補ってあげなければいけない。緑を補い、緑への渇望を癒し、執着を無くしてあげなければいけない。
これが第二の教訓。まあ、教育やカウンセリングの現場で応用するには、全く参考にならない、具体性の無い話ではありますが、例え話としては面白いんじゃないでしょうか。
コメント