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意味にどれほどの意味があるのか

例えば、以前書きましたポアンカレの科学観。「近代科学の歴史は、科学的真理が人間の視点から見たひとつの見解にすぎないということを実証してきた歴史である」というものでした。

だから、犬には犬の科学がある。カラスにはカラスの科学がある。ヘビにはヘビの科学がある。カエルにはカエルの科学がある。マグロにはマグロの科学がある。…ポアンカレもここまで奇抜な表現はしてないでしょうけど、要はそういうことですよね。

科学にはたったひとつの真理がある。時代によって変わるのは観測精度等によるものであって、科学的真理は永久不変である…という思い込み

前掲書の数学の章には無理数や虚数が誕生した経緯も書いてありましたが、数学界でのいろいろな出来事の順序が違っていたら、現代の数学の有り様も違っていたのではないか?と思ったりもします。

例えば発展の順序が違ってしまって、現代の数学で既知とされる理論が未解決とされて、リーマン予想のような未解決の事柄が先に解明されて、数学が発展していく場合も考えられます。そんなふうにしてできた数学は、現代のものとは違った姿をしているはずです。当然、物理学も違った姿になるでしょう。

「意味」を追うことに意味は無いとは言いません。でも、意味は文字通り「味」なんですね。味付けしだいで人間好みにも、犬好みにも、カラス好みにも…なる。調理の順番次第で、味も違ってくる。

「唯一絶対」とか「永久不変」の「味」なんて無い。
「唯一絶対」とか「永久不変」の「意味」なんて無い。

それがあると思い込むことには、全く意味が無い。