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「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「勝鬘経」の「四 一諦章」「五 如来蔵章」「六 終章」を読みました。

《以下引用》…苦の滅とは、存在するものの消滅という意味ではありません。(苦が、そしてその原因たる煩悩が、本来、非存在であるということです。)…はじめも知られない昔から存在し、つくられたものでも、生まれたものでもなく、滅尽することもなく、…常住・堅固(・寂静・永続的)で、本性として清浄であり、あらゆる煩悩の蔽いから脱却しており、…知恵と不離なる、不可思議なほとけの諸徳性をそなえた如来の法身が、「苦の滅」という名によって示されているのだからです。…このまさに同じ法身が、まだ煩悩の蔽いから脱却していない状態にあるとき、それが如来蔵と呼ばれるのです。
…《引用終わり》


如来蔵に関する知とは、如来の空性の知です。如来蔵が空性を示すと知ること(如来蔵空智)は2種類の内容があります。
1.如来蔵には、(もともと法身と無関係で、さとりの知恵から切り離された、あらゆる)煩悩の蔽いが欠如している(つまり空である)。
2.(煩悩は虚妄で非存在であるが、)如来蔵は(法身と密着・不可分で)、(さとりの知恵と切り離しえない)ほとけの諸徳性を本来そなえている(つまり不空である)。

また、如来蔵は生死輪廻のよりどころです。生と死をあらわす輪廻とは如来蔵の別名です。死とは諸感官の機能停止、生とは新しい感官の発生です。ところが如来蔵には、生も死も滅も起もありません。如来蔵は有為の存在の領域を超えて、常住・堅固・寂静・永続的であります。

この本性として清浄な心が、煩悩によって汚されている。このことを信じましょう。…というのが結論のようです。

ちょっと気になるのは、この記述。
《以下引用》…
この三種の(如来の)家のよき男子や女子たち以外の衆生なるものは、もろもろの深遠な教えに対し、自分勝手な見解をいだいて、それを最上とみなし、あまつさえ、まちがった観念をもって執着しつつ、教え、説明します。…私は、彼らは真実の教えに背反するもの、異教徒、腐った種子の持ち主であるから、たとえ君側にあっても、調伏すべきである、と申し上げたい。
…《引用終わり》


異教徒は如来蔵ではないの?という疑問が湧きます。「やっていい戦争」があるというふうにも読めます。

「勝鬘経」は聖徳太子も好んで読んでいましたから、和を尊んだ彼も戦地に赴くときは、この辺りの記述を思い起こして力を得たのではないかと思われます。

「シュリーマーラー夫人が獅子吼した説示」という副題が付けられています。とっても怖い奥さんをイメージしてしまう(恐妻家だから?)のですが、こういう仏に関する大演説を「獅子吼」と表現するようです。四誓偈にも出てきます。

なぜ女性に言わせたのか?やはり、口では(口だけじゃない?)女にかなわないのが古今共通ということでしょうか…。

《つづく》