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第14章「「神」と人間のあいだで」を読みました。

《以下引用》…イスラム教徒は思想に対して非常に大きな不信感をいだき、強制的なきびしい修行によって、ものを考える力を捨て去ってしまっている。…《引用終わり》

これはイスラム教徒ではない私でさえも非常に不快を感じる文章です。自分たちの神を崇拝し、仲間内で盛り上がるのは結構ですが、他人の神様にケチをつけるのはいかがなものでしょうか。この著者は、他の宗教に関して、ものを考える力を捨て去ってしまっているようです。

《以下引用》…きわめて優秀な頭脳を持ち合わせた人々の一部には、もう一つの反論が深刻に受け止められているらしい。それは、人間に危害を加える無用このうえない生物の存在を神がなぜ許しているのか、という反論だ。つまり、ガラガラヘビや黒後家グモ、マラリアの媒体であるハマダラカ、恐るべきライ病菌、種の存続を脅かす梅毒の病原菌はなぜ存在するのか、こういうたぐいのものは、すべて神のもつ善意と両立しないではないか、と言うのである。…《引用終わり》

これに対する説明はこうです。

《以下引用》…もし、ある最高の力が真実の諸法則を「創造した」という事実を受け入れるならば、これらの法則がいったん形づくられると、みずからその機能を果たしていく、という事実をも受け入れなくてはならない。言い換えれば最高の力自体でも、さまざまな現象がこうした法則の定める方向に展開していくことを食い止められないのだ。さもなければ、法則などもはや存在せず、気まぐれだけが残ることになる。…《引用終わり》

これは全然納得できません。諸法則が実行されていくとモンスターを生み出してしまうという弊害があるのなら、そんな法則は最初から創造しなければいい。そんな言い訳は神ならぬ身のみができることなのであって、そんな法則を創造してしまうのであれば全知全能の創造主ではないということになります。

私は、道徳という分野に関してさえも、絶対的な善悪の判断基準というのは無いと思っています。まして、科学者が生物を善玉と悪玉に分類するなんて、正気とは思えません。

これについては、明日、もう少し書きたいと思います。


《つづく》