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NHK「爆笑問題のニッポンの教養#70」(4月28日放送分)を見ました。デザイン思想の原研哉先生でした。今回はなかなか良かったな。

デザインとは最初、複雑な形態から始まるそうです。自分たちを他者にアピールしたいという欲求から始まるから、「こんな複雑な物を作れるんだぜ!」という主張が入ってきてしまう。

この段階を超えると、シンプルなものが志向されるようになってくる。日本史上の好例が室町時代の東山文化。中国(当時は明だったかな?)にアピールしようとして建てられた義満の金閣寺と、それに飽きた義政の銀閣寺は好対照ですね。

シンプルとエンプティの話も面白かった。ドイツ製の包丁は手の形に合うようなグリップだけどシンプル。一方、日本の包丁は手の形に合うような部分は全くないエンプティ。でも、前者は握り方が一通りだけになってしまうけど、後者は言わば無限通りの握り方が有り得る。…何も無いけれど、そこに全てが存在している。

太田さんのボケとツッコミの理論も面白かった。田中さんがエンプティで如何様にも変わることができる。ボケにどんなふうにツッコミを入れるかで、ボケをどこまでも引き立てることができる。ここに漫才というスタイルの醍醐味がある。

ミヤコ蝶々さんは一人でしたが、「間」を大切にしたそうです。昔の映像が少しだけ流れましたが、ゆっくり丁寧に喋っていて、そっと言葉を切って「間」を作る。ニッコリして客に考えさせることによって、沈黙が大爆笑に変わる。正に名人芸だと思いました。これに比べたら、今のお笑いは素人の宴会芸。プロの技とはとても言えませんね。

何も無いようで、そこに無限の何かが存在している。

人間、世間、空間、時間…

「間」は何も含んでいないはずなのに、大切な物が抜けていることを日本人はなぜか「間が抜けている」と言う。

《つづく》