思い浮かべてごらん…
「本当」の世界には…
すべての物があって、すべての者がいる。そして、すべての状態がある。
「いぬ」とか「ねこ」とか「いちご」とか「りんご」とか。
「わたし」とか「あなた」とか「かれ」とか「かのじょ」とか。
「きれい」とか「きたない」とか「うれしい」とか「かなしい」とか。
でも、それらには境い目がない。
どこからどこまでが「いぬ」なのか、わからない。
どこからどこまでが「いちご」なのか、わからない。
どこからどこまでが「わたし」なのか、わからない。
どこからどこまでが「きれい」なのか、わからない。
どこからどこまでが「うれしい」なのか、わからない。
だから、そこには何も無いようにみえる。
《つづく》
「本当」の世界には…
すべての物があって、すべての者がいる。そして、すべての状態がある。
「いぬ」とか「ねこ」とか「いちご」とか「りんご」とか。
「わたし」とか「あなた」とか「かれ」とか「かのじょ」とか。
「きれい」とか「きたない」とか「うれしい」とか「かなしい」とか。
でも、それらには境い目がない。
どこからどこまでが「いぬ」なのか、わからない。
どこからどこまでが「いちご」なのか、わからない。
どこからどこまでが「わたし」なのか、わからない。
どこからどこまでが「きれい」なのか、わからない。
どこからどこまでが「うれしい」なのか、わからない。
だから、そこには何も無いようにみえる。
《つづく》
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