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序章「人間は、これからどのような未来を迎えるのか」を読みました。

《以下引用》…本書は、生涯のある瞬間に、なんらかの会話や体験を通じて心に疑問が湧き上げるのを感じたことのある人々に向けて書かれている。合理的な自我と考えているものと、精神的、宗教的、もしくは感情的な自我との葛藤に悩んでいる人々に向けて書かれている。また、人生の目的が高邁な良心の実現と、人間固有の資質の調和のとれた融合による自己完成にあることをわきまえ、自分の努力や試練のもつ意味を理解したいと願うすべての人々のために書かれている。…《引用終わり》

人間は「自分はカスなんじゃないか?」という絶望感に直面しないようではダメなんじゃないか?と前に書きました。また、自己が自己に対して抱く矛盾による悩みを抱くことこそが「人」としてのはじまりだと思います。この本は、そういう人が対象ということですね。

《以下引用》…本書は、みずからの努力が宇宙的な秩序の中に組み込まれることを願い、その宇宙的秩序に対するなんらかの貢献を通じて、みずからの存在や希求心に、個人的利害という狭い枠を越えた真の価値を与えたいと切望する人々のためにある。人間的尊厳が実在し、宇宙における人間の使命が確かにあることを信じている人々、あるいはそれを信じるまでにはいかなくても、そう信じたいと願っている人々のために、本書は書かれているのである。…《引用終わり》

第二次大戦前後に書かれたものだと思うのですが、大量殺戮兵器の悲惨を目の当たりにした世界が震撼して、人類の将来に危機感を持ったという時代背景があるのかもしれません。

こういう真面目なことを言うと煙たがられたのが、我々の世代です。

《以下引用》…今日まで個人個人の生活に一つの意義と努力の根拠と達成すべき高邁な目標とを与えてきた教義、すなわち宗教を、知性がいまだ揺籃期にある科学の名において破壊し、人間の存在理由をすべて奪い去ってしまったところに、現代の不安の主な原因があると確信している。…人間を人間として特徴づけるのは、まさにその人間の内部における抽象的な観念、道徳的な観念、精神的な観念の存在である。このような観念以外に、人間が誇り得るものはない。これらは人の肉体と同じく現実的であり、肉体だけではとうてい手に入れることのできない価値と重要性とを与えてくれるのだ。…人間の尊厳というのは空虚な言葉ではない。そして、この点を確信せず、この尊厳を手に入れる努力をおこたるならば、人はみずからを獣の水準までおとしめてしまう―これらの点についての証明が、いま必要とされている。…《引用終わり》

宗教が全てを包み込み全てを説明していたところに、科学という別な説明の仕方が出現したわけです。科学は「誰の目にも同じに見えるもの」(即ち客観性)で構成されますから、宗教との間で食い違いが生じた時、宗教には勝ち目がない。

だから科学と宗教の間に整合性の橋を架けることはできないまでも、とりあえず科学と宗教で住み分けができれば良かった。でも、宗教が余りにも硬かったために、科学との衝突でガラスのように粉々になってしまった…

この本がやろうとしていることは、科学を十分に意識しながら(当時有名な生理学者でしたから)、この破片を拾い集めることかもしれません。

但し、著者も訳者もクリスチャンですから、「宗教」というのはキリスト教に他ならないはずです。私は仏教的な視点で読み進みながら、この作業を自分なりにやってみたいと思います。

上記引用文を読み返すたびに、大乗起信論と共通した志を感じるのです…

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