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「意識の形而上学」という解説書の方を先に読みましたが、アウトラインをつかんだところで訳本の方を読むことにしました。

大乗起信論(岩波文庫版)
第一段「因縁分」、第二段「立義分」と、第三段「解釈分」の第一章「顕示正義」の第一門「心真如」まで読みました。「意識の形而上学」の読書日記では割愛した「離言真如」と「依言真如」についてまとめておきます。

「離言真如」について
あらゆる言語表現は便宜的な仮の表現に過ぎず、それに対応する実体は無い。すべてのものは、誤った心の動き(妄念)によって現われている。人が妄念から離れられれば、あらゆる対象は姿を消すであろう。ここで真如と呼ぶものも、他の全てのものと同様に、対応する実体は無い。

「依言真如」について
上記のように真如は言葉では表現できないが、言葉を借りて説明すれば2つの意味がある。
1.ありのままに空ということ。全ての現象は妄念の所産であって、真実においては無い(空)のである。全ての汚れたものが、そこに結び付いてはいない。
2.ありのままに不空ということ。心の真実のあり方自体は、煩悩に汚されていない清浄なものが本来具わっている(不空)。清浄な徳相で満ち満ちている。

《つづく》