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第三章「私が選んだ教育法「公文式」」の中ほどを読みました。

公文式の創始者である公文公さんが、この教育法を生み出す過程が書かれています。それについては以前も書きました。

公文さんがいちいち息子さんの勉強を見てやれないからという理由で、たまたま出来上がった教育法のような気もするのですが、この偶然が奇跡を生んだという感じがします。

以下は私の憶測ですが、公文式の勉強法は寺子屋に似ているんじゃないかという気がしています。学年とかカリキュラムという概念がなく、年令の違う子どもが一緒に、一人の先生から習う。おそらく、それぞれが課題に取り組み、出来たら先生に見てもらうという形式だったと思います。読み書き算盤(国語・数学)が中心。

とすると、江戸時代の勉強方法、近代以前の学習方法ということになるのですが、江戸時代の日本の教育水準というのは高かった。庶民がパズル感覚で、計算問題に取り組んでいたらしい。今の脳力トレーニングなんかよりずっとレベルの高い問題。

明治以降に導入した西洋式のやり方のほうが優れているという根拠は無いのではないでしょうか?少なくとも、一斉にクラスの皆が同じ講義を聴くというやり方が、良い方法だとはとても思えない。

その欠点を補う方法として、公文式は必要なものなのかもしれない!と思うようになりました。

《つづく》