疲れはどこで感じるのか?実はこれが分かっていないのだそうです。かつては乳酸が疲労物質と呼ばれ、この血中濃度を脳が検知して疲労を感じるというのが定説でしたが、今は否定されているとのこと。筋肉の「疲れたよう」という叫びがそのまま疲れとして感じ取られるわけではないらしい。これもプログラム処理なんじゃないかと言われているみたいです。
そこで思い出したのがノートパソコンなどに使われているリチウムイオン電池です。もちろんパワフルな電池なのですが、「電池の残量がなくなってきました」とか「充電が完了しました」とか分かるところがなおさら素晴らしい。これはスマートバッテリーというそうですが、電池パックに内蔵されている8ビットマイコンがバッテリーの特性データを基に計算して表示しているのだそうです。人間の疲れもこんなメカニズムだ!なんてこと無いですかね?
手や足に、動け!動け!と言いつけているのは脳です。同じ動作を繰り返していると、手が上がらなくなったり足が痛くなったりします。これは筋肉が疲労を直接訴えているとしても、それ以外の「疲れた!」という感覚は脳が勝手に演算処理して表示しているものもあるんじゃないかと思うのです。
つまり、疲れたと思っていても本当に筋肉が疲労しているとは限らない。逆に、疲れていないと思ってもかなり疲労がたまっているということがあるのかもしれない。年をとってくると、体をそれほど酷使した感覚がないのに意外と疲れていて、急に体が動かなくなるということがあるようなのです。
認知症のお年寄りは不思議と満腹中枢の方だけ壊れやすいようです。私の祖母もそうでしたが、いくら食べても「まだ食べていない」とか「ご飯を食べさせてくれない」とか言います。そう言えばケータイの電池も、古くなるといくら充電してもすぐ無くなりますね…
機械と人間て似てますねぇ。
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そこで思い出したのがノートパソコンなどに使われているリチウムイオン電池です。もちろんパワフルな電池なのですが、「電池の残量がなくなってきました」とか「充電が完了しました」とか分かるところがなおさら素晴らしい。これはスマートバッテリーというそうですが、電池パックに内蔵されている8ビットマイコンがバッテリーの特性データを基に計算して表示しているのだそうです。人間の疲れもこんなメカニズムだ!なんてこと無いですかね?
手や足に、動け!動け!と言いつけているのは脳です。同じ動作を繰り返していると、手が上がらなくなったり足が痛くなったりします。これは筋肉が疲労を直接訴えているとしても、それ以外の「疲れた!」という感覚は脳が勝手に演算処理して表示しているものもあるんじゃないかと思うのです。
つまり、疲れたと思っていても本当に筋肉が疲労しているとは限らない。逆に、疲れていないと思ってもかなり疲労がたまっているということがあるのかもしれない。年をとってくると、体をそれほど酷使した感覚がないのに意外と疲れていて、急に体が動かなくなるということがあるようなのです。
認知症のお年寄りは不思議と満腹中枢の方だけ壊れやすいようです。私の祖母もそうでしたが、いくら食べても「まだ食べていない」とか「ご飯を食べさせてくれない」とか言います。そう言えばケータイの電池も、古くなるといくら充電してもすぐ無くなりますね…
機械と人間て似てますねぇ。
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