法華経の訳を四割ほど読んだだけですが、法華経の教えを説くぞ説くぞと言いつつ、やっと準備ができてきたところのようです。式典で言ったら、やっと来賓が着席したくらい。

それでも、興味深い内容はありました。
・世尊が誤解を恐れてなかなか説こうとしないこと
・真理を最初から話すと正しくは受け取ってもらえないから、これまで相手の理解のレベルに合わせていろいろな説明をしてきたと告白していること
・真理までの道のりは非常に遠く、悟ったと思ってもそれが最終的な真理だとは思わない方がいいということ
などです。

釈迦は対機説法という形式を採っていたので、いろんなところで語った内容を並べてみると矛盾しているように見えるところがあったのでしょう。さらに、法華経が編まれたのが滅後数百年後で、分裂していた教団をまとめる意図があったそうです。これらをうまくまとめるためには、前掲の説明の仕方が一番いいと思います。

教団の中で有力な考え方を正統とし、他の教派を異端として迫害したりしなかったのだとしたら、これは素晴らしい処置だと思います。それを(一般的な意味での)方便と捉えてもいいと思いますが、実生活でも有用な方法だと思います。

高くそびえる山ほど、眺める方向で見え方は違うものです。同じ山とは思えないほど、いろいろな姿に見えます。百人百様で、全く同じ方向から眺めている人はなかなかいないのだと思います。それぞれがそれぞれの富士山を持っている。それぞれが間違いなく同じ富士山なのだけれども、どれも同じ形はしていない。

世の中、何でもそうなんだと思います。だから、話が通じているようで通じてない。わかり合えたようでわかり合えていない。それを忘れるなよ!というのも法華経の教えなのかどうか・・・