前回、Cozyさんよりコメントをいただきました。ありがとうございます。

 法律というとても現実的な話題なのに、「あの世」の話が出てきたりしまして面食らいましたが、でもそういう次元まで関わってくることなのかなぁと考え込んだりしました。死刑というのは、「あの世」へ送り込むことなのですから。

 死んだらどうなるのか?誰もが自由に何度も死んだり生き返ったりできるようにならない限り、絶対に解けない問題だと思います。「死んだらどうなるかわからないのに『死刑』というのはいかがなものか」という意見も一理あると思います。でも、死んだらどうなるかわからないのに人を殺してしまった人がいる、というのも現実なのです。だからこそ殺人も、犯罪としては別格に扱わなければいけないとも思います。

 こんな笑い話を思い出しました。粉屋さんがパン屋さんに苦情を言いました。「お宅からパンを1キロずつ買っているけれども、最近1キロ無いみたいだよ!」それを聞いたパン屋さんは首を傾げて答えました。「だいぶ前に秤の重りを無くしてしまってねぇ。お宅から仕入れた小麦粉1キロを重りの代わりに使っているんだよ。」

 どこで読んだ話だったか、パン屋さんと粉屋さんではなかったかもしれないし、重さの単位も違っていたと思うのですが、本質はわかっていただけると思います。命は重さの測れないものだから、命と命を等価として交換するしかないんじゃないだろうか?と思うのです。

 それよりもなによりも、「自分が人からされたくないことは、人にもしてはいけない」というは大原則だと思います。詐欺師はクロサギから騙されても文句は言えない。同様に、殺人者は人から殺されても文句は言えない。

 でも、これがどこまでも正しいことなのかは、私も自信がありません。A国の国民が殺されたから、I国の国民を殺していいのか?宜颪旅駝韻鮖Δ靴燭ら、B大統領を殺してもいいのか?その辺に、死刑反対論の合理的な根拠があるのだろうとは思います。ともかく、殺人が日常化している現実はとても耐え難いことです。

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