1人の人間の命は地球よりも重い!などという言葉も聞かれるほどに命の重さを計るのは難しいことだと思います。地球などというとてつもないものと比べるのはどうかと思います。ただ、同じ1人の人間の命は、基本的には同等ではないでしょうか?
この原則に立てば、人を1人でも殺してしまったら、死刑になるのが当たり前だと私は思います。人の命を奪うということは、その人の全ての可能性を奪うことです。そういう行為を本人の同意も得ず勝手に行うのですから、自分の命は助けてもらおうというのは身勝手もはなはだしい!というものです。殺意の有無や精神状態は、余り問題ではないと思うのです。
先日、みのもんたさんが「仇討ちを復活すべきだ」というコメントをしたのを聞いて、思わず拍手してしまいました。犯罪者の人権ばかりを考慮した死刑廃止論よりも、被害者とその遺族の気持ちを配慮した江戸時代の制度の方が、合理的かつ人道的であるように思います。
有識者は「死刑は野蛮だ!」と言いますが、これだけ殺人が日常化している野蛮国家において、刑罰だけ上品ぶっても仕方がないと思います。「紙一重」という言葉がありますが、専門家の先生方は勉強のし過ぎで常識的な判断ができなくなっているようです。 プロの歌手よりも素人のど自慢に出てくる人の方が歌がうまい場合があるように、専門家の意見が常に適切とは限りません。
加害者の命と被害者の命
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1. 光市母子殺害事件、裁判は続いているようであるが、殺害し更に死体を強姦した弥生さんに、来世では結婚したい、、など、、本村洋さんがあまりにも可哀想だ。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
- [チョクのブログ]
- 2007年07月27日 11:14
- 光市母子殺害事件、裁判は続いているようであるが、加害者が主張する内容は、 ■殺害し更に死体を強姦した弥生さんに、来世では結婚したい、、(゚Д゚)ゴルァ!! ■「(本村さん一家と)4人で仲の良い家族が作れる」、、(TДT) 裁判に勝つためには手段を選ばない....
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2. 死刑廃止論に反対する
- [釣りキチおやじの言いたい放題]
- 2007年09月24日 11:35
- 近頃少しおさまったようであるが、死刑廃止の声がある。 「国家が、人間の基本的な権利である生命を奪うことは許されない。」というのが、その主張の趣旨であるようだ。 しかしながら、「何の罪もない者が無残に殺さむ
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3. 虚々実々(虚実4/4)
- [トトガ・ノート]
- 2009年09月26日 00:06
- 複素数みたいなもの…全然数学的な意味ではなく、飽くまでもイメージなんですが…私たちの頭の中には現実(real)の座標軸と想像上(imaginary)の座標軸があるな、と突然思いました。 実数成分(real part)とは例えば、駅まで何分で電車が何時だから、間に合うとか間に合わない....
コメント
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ノンさん、ありがとうございます。新しい見方です。気がつきませんでした。
論文の結論がどうだったかは気になるところですね・・・
裁判員制度の導入がなされ、自分がこのような事件の担当に選ばれたらイヤですね。
昔話を、大学入試の小論文のテーマが、死刑制度の是々非々でした。
命の重さが同じと考えていいかどうかは分かりませんが、人を殺すということはその人の可能性をすべて了解もなく奪い去ることです。その罪を贖うには自分の命を差し出すべきではないか?そうしなければ天秤が吊り合わないのではないかと思います。
ひとり殺しても死刑判決!という可能性は、今はかなり少ないのではないでしょうか(皆無ですかね?)。命の重さを考えれば、「ひとり殺しても原則死刑。但し、状況は考慮する。」というのが、わたしには当たり前に思えるのです。
抑止効果がどうかは、よく分かりません。でも、刑罰は抑止効果だけで決めるべきではないと思います。そもそも、刑罰とは抑止のためだけにあるのですか?
「被害者遺族の気持ちをもとに刑罰を決める」べきだとは必ずしも思いません。でも、遺族が加害者の死を望まないような状況であれば、紛れもなく情状酌量の余地があるということなのではないでしょうか?
裁判官の判断だけでいいのか?被害者側の気持ちが無視され過ぎているのではないか?と傍目で見ていて感じることがわたしは多いのです。
「被害者遺族のことを考慮して死刑にすべき」って割とよく聞きますね。
でも被害者遺族と一口に言っても、「加害者を殺したい」という人もいれば、「加害者が罪を悔い、更生することを望む」という人もいます。
被害者遺族の気持ちをもとに刑罰を決める、ということになると、犯した罪の内容に関わらず、被害者遺族がたまたまどういう人だったかによって、その処遇が決まるということになっちゃいませんか
それから一人でも殺したら即死刑、というルールになってしまうと、一度殺人を犯してしまうと、もう歯止めが何もないということになると思います。一人殺しても十人殺しても罰は同じという理屈になってしまうので。
殺した人数が増えると、罰も重くなるという現状の方が抑止効果があるんじゃないでしょうか。
いつも楽しく読ませてもらってます。
僕は死刑についてはまだ全面的に賛成というわけではありません。
だって、死んだらまた生まれ変わるじゃあないですか。(^_^;
それよりも刑務所でずっと重労働をさせる方が、とか考えてしまいます。
これ、半分以上本気です。(^_^;
ま、死んだらどうなるのかいろいろな説があるでしょうから
ここで議論をしても仕方が無いですが、そういった「どうなるのか」を
知らずに「死刑」を行うのは「?」という疑問符が頭に浮かびます。
ただ、、、被害者の遺族の気持ちを思うと「当然死刑」という
立場に立ってしまうのは、感情と論理の食い違う点だなぁと
思いました。
あ、あと、僕は仇討は賛成できません。僕のような弱者は
逆に返り討ちにあいそうだからです。(^^;;