2012年07月
解剖学教室(人矛22)
「新・人体の矛盾」の「人体解剖事はじめ」(p20〜21)を読みました。(小林教室収蔵)
この本を一通り読んできましたが、所々に挿入されている「人体こぼれ話」というコラムのような記事も面白いので、取り上げることにしました。
解剖の前に、遺体にホルマリンを注入しますが、「通常、約5リットルのホルマリン液(市販ホルマリン10%液)を大腿動脈から注入する(p20)」とあります。
これで、公文の国語H1教材111から出てきます養老孟司著の「解剖学教室へようこそ」を思い出しました。
こちらの本の方がより詳しいようです。ホルマリンとはホルムアルデヒド約40%溶液の商品名だそうで、これを10倍に希釈するわけですからホルムアルデヒド4%溶液を実際には使うということになります。
私も、鍼灸師の専門学校時代に、東北大学歯学部の解剖実習が行われている遺体をちょっとだけ解剖させていただいたことがあります。しばらく、肉が食べられなかった記憶があります。とっても貴重な体験でした。
《つづく》
この本を一通り読んできましたが、所々に挿入されている「人体こぼれ話」というコラムのような記事も面白いので、取り上げることにしました。
解剖の前に、遺体にホルマリンを注入しますが、「通常、約5リットルのホルマリン液(市販ホルマリン10%液)を大腿動脈から注入する(p20)」とあります。
これで、公文の国語H1教材111から出てきます養老孟司著の「解剖学教室へようこそ」を思い出しました。
こちらの本の方がより詳しいようです。ホルマリンとはホルムアルデヒド約40%溶液の商品名だそうで、これを10倍に希釈するわけですからホルムアルデヒド4%溶液を実際には使うということになります。
私も、鍼灸師の専門学校時代に、東北大学歯学部の解剖実習が行われている遺体をちょっとだけ解剖させていただいたことがあります。しばらく、肉が食べられなかった記憶があります。とっても貴重な体験でした。
《つづく》
分数式・無理数の計算(数学J-080)
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因数分解の場合と同様、計算が簡単になるテクニックが例題で示されて、見よう見まねで何問かやってみるうちに、いつの間にか自分のわざのひとつになっていく。この快感はたまりません。
このパズルを解くような楽しさは何なのでしょうね。学生時代の問題演習もこれと同じはずなのに、こんなに楽しく感じられなかったのは何が違うのでしょうか。
スモールステップの階段を夢中で駆け昇っているうちに、自分でも眼が眩むほど高いところに立っている…そんな感じです。
因数分解のところで身に付けたテクニックを使う問題も出てきます。さりげなく復習になります。
ルートの計算の場合には、(x+y)(x-y)=x^2-y^2の公式を使うととっても簡単になるので、ルートに対する抵抗感も無くなるような気がします。
【グラス片手に大人の公文】数学〔J-080〕
自学自習を指導する(ち学12)
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公文は、算数を、英語を、国語を教えるのではない。算数で、英語で、国語で、自学自習を教えるのである。という言い方をします。
《以下引用(p98)》
質問があった場合、生徒はアシスタントに訊いたりしないし、できないのが教室のルールである。自分で席を立って指導者に訊きに行くことなど、もちろん、ない。質問があれば手をあげる、そんなこともしない。机のあいだをまわりながら質問のありそうな生徒を見つけ出すのか。そんなバカな!できなくなれば、だれかが助けに来るまで、机にうつぶすなど、とんでもない。斉田先生は何もしない。生徒は教材を自分で解くしかない。だれも手伝ってくれない。例題を見てあげたり解答へのみちびき方を教えるのでもない。「自学自習」で問題にぶつかることを指導するのだ。
《引用終り》
これは、言うほど簡単なことではありません。
《以下引用(p99)》
指導をうけた生徒が自分の席にもどって、自学自習で教材に立ち向かう。そして、その学習の結果を先生が確かめる。自学自習で確実に学習ができたことを確認するまでの指導をおこなうというのが、「指導の徹底」なのだ。指導の徹底度合いを高めるとは、このことである。先生は生徒が自習でできるかどうかを判断して、自習ができるまでの学習範囲を指示する、そして、自分の席での学習が終えたら、ふたたび生徒は先生のもとにくる(アシスタントへではない)。そう先生が指示を出しているから、このときは自分で来る。自習でできるかどうかが確定できないときは、どうするか。自学自習が可能な範囲だけを指示する。どこまでなら可能かを看る。どれだけならできるか、その範囲は個人別である。半ページのこともあるし、それ以下のこともある。数ページにわたる場合はもちろんある。生徒の自学自習力に差があるのだから、その差をはかって指示を与えるのである。きょうの学習課題がひとりで自学自習できるように指導を貫徹するのだ。きょうはここまでを確実にマスターさせたい、そのときの先生のイメージは、教室での一定時間、生徒自身が自学自習できることである。このためだけに、斉田先生の指導は大車輪にうごく。
《引用終り》
斉田先生の指導の輪郭が、少しずつ見えてきました。
《インデックス》
温溜(経穴メモ)
私たちは何に投票すればいいのか?
近々、選挙があるんだと思われます。でも、正直、投票用紙に何を書けばいいかわかりません。ドラえもんの顔でも描いてこようかとさえ思います。余りにもバカバカしくて。
選挙が始まった頃というのは、おそらく「人」に投票していたのでしょうね。見識が高く、尊敬できるので、難しいことは私が考えるよりもこの人の判断におまかせした方がいいだろう、と。政治家が立派な人だった、古き良き時代。
今は、「あの人は政治家だから信用できる」などと言ったら、気ちがいだと思われるような時代です。
政党の公認なんてのが重きを持たれた時代もあったかもしれません。政党政治が機能していた時代?
でも、今は、政党というのも政党助成金とか、要は政治家の金のつながりでしかないということが自明になってきました(国民新党のお家騒動は記憶に新しいところです)。
「人」でもない、「党」でもない…ひとつのテーマに投票するという選挙も行われました。郵政選挙です。
ひとつの政策を国民が直接オーダーするが如きこの選挙、私も画期的だと興奮しました。
それまでは、食堂に入って「何を頼みますか?」という時に、「3人の候補者がいます。それぞれ○○党、××党、△△党の公認です。あなたは誰に自分のオーダーをお任せしますか?」的なシステムだったと思うのです。そして昔は、「○○さんがラーメンと言ったから、みんなラーメンにしましょうよ」という頼み方をすることが多かったのです。だから、政治もそれで良かったのかもしれない。
でも、今は違います。こんなところでも自己主張をしたがる。同じラーメンでも、細めん太めん、みそ醤油しお、固め柔らかめ、つゆ多め少なめ…。他人におまかせするなんて断じてイヤ!
そんな時代にマッチし、国民の圧倒的な支持で成立した郵政民営化のはずなのに、国民の新たな審判を仰ぐということもないまま改正されてしまったみたいです。
民主党が圧勝して政権交代が実現した先日の選挙は、マニフェストに対して投票したことになると思います。ところが、このマニフェストも、「実現できませんでした」という正式な御挨拶もなく、それどころかマニフェストではっきり否定されていたことが今の内閣の至上命題になっています。
国民が圧倒的に支持したマニフェストなのですが、増税法案が痛烈な批判にさらされることなく通過したということは、結局、マニフェストを大事だと思っていた人は、政界にも、マスコミにも、一般の国民にもほとんどいなかったということになります。
私は、野田さんの最大の功績はゼニカネ(税金)の次元の話ではなくて、「マニフェストとか公約なんてのは選挙の時しか関係無いんですよ。政権取っちゃえば、誰も問題にしないんですよ」という事例を作り上げたことだと思っています。私は、小泉さんや橋下さんよりも、野田さんのほうがずっとずっと強引で危険な政治家だと思います。
これを引っ繰り返す役どころのはずの野党(自民党と公明党)がこの片棒を担いでいます。どんな取引があるにせよ、選挙を全く無意味なものにしてしまうことに加担した罪は重いです。
逆に、小沢さんや鳩山さんら造反組は(今回だけは珍しく)正しい行動をしたのですが、この人たちはすこぶる評判が悪い狼少年なので、誰も真面目に彼らの言葉に耳を傾けないようです。不徳のいたすところです。これは野田さんにとってラッキーなことではないでしょうか。
ともかく、この後、政治がどうなろうが、どうしようもない状況に変わりはないでしょう。近いうちに選挙ということになるでしょう。「人」でもなく、「党」でもなく、「公約」でも「マニフェスト」でもないとすると、私たちは何を参考に、何を信じて、投票すればいいのでしょうか?皆目見当がつきません。そんな選挙、やって意味があるんでしょうか?
今の内閣をこのまま続けさせる訳にもいかないので選挙は必要ですけど、国民の考えを政治に反映させるという最大の役割を果たせそうにない選挙で、投票用紙に何を書いたらいいのか…。
ドラえもん以外ですと、ニャロメやマジンガーZも得意です。
(2012/7/1記)
選挙が始まった頃というのは、おそらく「人」に投票していたのでしょうね。見識が高く、尊敬できるので、難しいことは私が考えるよりもこの人の判断におまかせした方がいいだろう、と。政治家が立派な人だった、古き良き時代。
今は、「あの人は政治家だから信用できる」などと言ったら、気ちがいだと思われるような時代です。
政党の公認なんてのが重きを持たれた時代もあったかもしれません。政党政治が機能していた時代?
でも、今は、政党というのも政党助成金とか、要は政治家の金のつながりでしかないということが自明になってきました(国民新党のお家騒動は記憶に新しいところです)。
「人」でもない、「党」でもない…ひとつのテーマに投票するという選挙も行われました。郵政選挙です。
ひとつの政策を国民が直接オーダーするが如きこの選挙、私も画期的だと興奮しました。
それまでは、食堂に入って「何を頼みますか?」という時に、「3人の候補者がいます。それぞれ○○党、××党、△△党の公認です。あなたは誰に自分のオーダーをお任せしますか?」的なシステムだったと思うのです。そして昔は、「○○さんがラーメンと言ったから、みんなラーメンにしましょうよ」という頼み方をすることが多かったのです。だから、政治もそれで良かったのかもしれない。
でも、今は違います。こんなところでも自己主張をしたがる。同じラーメンでも、細めん太めん、みそ醤油しお、固め柔らかめ、つゆ多め少なめ…。他人におまかせするなんて断じてイヤ!
そんな時代にマッチし、国民の圧倒的な支持で成立した郵政民営化のはずなのに、国民の新たな審判を仰ぐということもないまま改正されてしまったみたいです。
民主党が圧勝して政権交代が実現した先日の選挙は、マニフェストに対して投票したことになると思います。ところが、このマニフェストも、「実現できませんでした」という正式な御挨拶もなく、それどころかマニフェストではっきり否定されていたことが今の内閣の至上命題になっています。
国民が圧倒的に支持したマニフェストなのですが、増税法案が痛烈な批判にさらされることなく通過したということは、結局、マニフェストを大事だと思っていた人は、政界にも、マスコミにも、一般の国民にもほとんどいなかったということになります。
私は、野田さんの最大の功績はゼニカネ(税金)の次元の話ではなくて、「マニフェストとか公約なんてのは選挙の時しか関係無いんですよ。政権取っちゃえば、誰も問題にしないんですよ」という事例を作り上げたことだと思っています。私は、小泉さんや橋下さんよりも、野田さんのほうがずっとずっと強引で危険な政治家だと思います。
これを引っ繰り返す役どころのはずの野党(自民党と公明党)がこの片棒を担いでいます。どんな取引があるにせよ、選挙を全く無意味なものにしてしまうことに加担した罪は重いです。
逆に、小沢さんや鳩山さんら造反組は(今回だけは珍しく)正しい行動をしたのですが、この人たちはすこぶる評判が悪い狼少年なので、誰も真面目に彼らの言葉に耳を傾けないようです。不徳のいたすところです。これは野田さんにとってラッキーなことではないでしょうか。
ともかく、この後、政治がどうなろうが、どうしようもない状況に変わりはないでしょう。近いうちに選挙ということになるでしょう。「人」でもなく、「党」でもなく、「公約」でも「マニフェスト」でもないとすると、私たちは何を参考に、何を信じて、投票すればいいのでしょうか?皆目見当がつきません。そんな選挙、やって意味があるんでしょうか?
今の内閣をこのまま続けさせる訳にもいかないので選挙は必要ですけど、国民の考えを政治に反映させるという最大の役割を果たせそうにない選挙で、投票用紙に何を書いたらいいのか…。
ドラえもん以外ですと、ニャロメやマジンガーZも得意です。
(2012/7/1記)
存在のメカニズム(神人09)
「神秘主義の人間学」(法蔵館)「第三章 エックハルト」(p51〜69)を読みました。
《以下引用(p60)》
存在の逆説を理解できない者のみが、この地上に縛られ、偽りの円環(時間)を廻り続けるのだ。さらに不幸なことは、この逆説を省みることのない者が、途方もない人類の恒久平和を口にしたり(私は平和であってはならないと言っているのではない。そういうことが不可能にされた存在のメカニズムの上にわれわれは立っていると言いたいのだ)、意味もないところに、もっともらしい意味を捏造し、この世をソフィスティケイトし続ける奇妙な人々がいることだ。そのためには神をも利用する詭弁に満ちた生の理解が、人間を誤った方向に導くとしても何の不思議もない。人類は確実に危険な方向へと辿りつつあるのだ。
《引用終わり》
以前、「本当はどっちだ?」というのを書きました。「本当」という言葉には「絶対的な真理」のような響きがありますが、実際は極めてあやふやなものなのです。
この世は平和が保たれるのが「本当」だと捉えれば、平和でない現実は極めて悲惨な状態であります。人間の頭で考えることを「本当」だと捉えれば、理不尽な現実は極めて不愉快な状態であります。
しかし、「そういうことが不可能にされた存在のメカニズムの上にわれわれは立っている」と捉えれば、理想的な「本当」を望まない中での次善の策を模索することはできるのではないかと思います。
《インデックス》
《以下引用(p60)》
存在の逆説を理解できない者のみが、この地上に縛られ、偽りの円環(時間)を廻り続けるのだ。さらに不幸なことは、この逆説を省みることのない者が、途方もない人類の恒久平和を口にしたり(私は平和であってはならないと言っているのではない。そういうことが不可能にされた存在のメカニズムの上にわれわれは立っていると言いたいのだ)、意味もないところに、もっともらしい意味を捏造し、この世をソフィスティケイトし続ける奇妙な人々がいることだ。そのためには神をも利用する詭弁に満ちた生の理解が、人間を誤った方向に導くとしても何の不思議もない。人類は確実に危険な方向へと辿りつつあるのだ。
《引用終わり》
以前、「本当はどっちだ?」というのを書きました。「本当」という言葉には「絶対的な真理」のような響きがありますが、実際は極めてあやふやなものなのです。
この世は平和が保たれるのが「本当」だと捉えれば、平和でない現実は極めて悲惨な状態であります。人間の頭で考えることを「本当」だと捉えれば、理不尽な現実は極めて不愉快な状態であります。
しかし、「そういうことが不可能にされた存在のメカニズムの上にわれわれは立っている」と捉えれば、理想的な「本当」を望まない中での次善の策を模索することはできるのではないかと思います。
《インデックス》
斉田教室(ち学11)
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さて、やっとこの本の主な舞台となる、斉田教室に関する描写が出てきました。一見、何ということはない、しかし何かが違うということのようです。
《以下引用(p92)》
教室見学をしたことのあるMの会のメンバーも同じ感触をもった。この教室に充満する緊張感が自分たちの教室にはない。ただけっして手のとどかない、彼岸の教室とは思わなかった。子どもの様子を見れば、自分たちの教室にいる生徒と変わりはない。斉田先生の教室の生徒はたしかによくがんばっている。教材がたかい。かなり長い時間、集中力を切らさずに学習をしている生徒もいる。しかし、当たり前のことが当たり前におこなわれているだけなのだ。これだけのことなら、自分たちの教室であってもできないはずはない、と思う。生徒も特段にできる生徒の集団だとは感じなかった。しかし、この緊張感はいったい何なのか。生徒が学ぶこの教材の高さは何なのか。先生がつくる教室の「場」が、生徒が、アシスタントが、そして先生自身が、何かに向かって闘っているという感じなのだ。この雰囲気は、残念ながら、自分たちの教室にはなかった。
《引用終り》
これは、自分で教室を運営したことのある先生方だけが感じ取れる、微妙なものなのでしょう。
《以下引用(p93)》
先生はいつも自分に特別な指導法などないという。謙遜というのではない、本気でそう言う。むしろ先生方のほうが自分以上に学力があるし、生徒を見る眼もたしかなくらいだ。もしわたしにあって、先生方にないものは何かと訊かれれば、それは「指導の徹底だ」と答える。
個人別に指導をおこなうとすれば、指導についてのさまざまな技術が必要となると考えられがちである。斉田先生には個人別に対応できるだけの指導の引き出しがたくさんあるからつよい、と言われたりする。「わたしにはそれがない。斉田先生にはできても、わたしにはマネできない」、と。
ところが、先生から、こうした意味での指導上のテクニックについて話を聞くことはほとんどない。生徒をみて、学習したプリントしか資料はない、これで十分だ。指導法がわかるというより、生徒と教材のほうから、これしかないという指導がおのずと出てくるのだ。だから、わたしが指示を考え出したというより、生徒のプリントが指導法をさし示す、といったほうがちかい。そのプリントがさし示す問題を乗り越えさせる、このやり方しか、自分にはできない。
指導の細目は先生にとって重要なことではない。指示することがちがっていてもいいではないか。ちがっていたら、学習が改善しないのだから、振り出しにもどったと思えばいい。こんなロスなどなにほどのこともない。そんなときは、また、プリントを見る。そして、今度はさっきとは別の指示を出す。これでいいのだ。ただ、生徒の教材を見、こちらの働きかけに対する生徒の反応を見れば、ああ、この生徒にはここが足りなかったのだ、しかし、この生徒にはこんな力がかくれてあった、ということがわかる。指導はここから始まるのだ。
《引用終り》
個人別指導なのだから、生徒によって十人十色なわけです。だから、その生徒の現在の状況に対して、ベストな指導がアプリオリに分かるなんてことは絶対にあり得ない。個別の事例から枝葉をもぎ取って抽出された教育理論やマニュアルが通用するわけがない。
指導者と生徒との、一期一会の真剣勝負なのですね。
《インデックス》
偏歴(経穴メモ)
個体発生と癌(人矛21)
「新・人体の矛盾」の「12 人体の矛盾」(p212〜229)を読みました。(小林教室収蔵)
個体発生と系統発生についても書かれています。
《以下引用(p218)》
…人体を例にとると、ヒトの発生――個体発生――と、ヒトが進化してでてきた道すじ――系統発生――は、時間のちがいはあるが、両者は幾何学でいう「相似形」のような関係にあるというのが、この説の核心である。その結果、35億年あまりまえに、単細胞の生物が誕生して以来、多細胞生物から、脊索動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、霊長類、類人猿、人類へと進化してきた道筋を、母親の胎内に宿った卵子が、一人前の大人の体になるまでの発生・発育の道すじで、だいたいのところを、大いそぎでくりかえすのが見られる、というのである。
《引用終り》
これが癌についても関係があるらしい、という話は興味深いです。
《以下引用(p220)》
…癌の研究者は、癌の歴史と発病の年齢とのあいだにも、おなじような関係のあることを示唆している。癌が発生する器官を、その器官が起源した歴史的な時間の順に配列すると、古いものから白血球などの血液細胞の癌、つぎに消化器官の癌、リンパ節の癌、新しいものにウイルス性の癌、とならべることができるという。そして、古い型の癌ほど自然褪縮がおこりやすい傾向があるという。また、原子爆弾や原子力発電の事故による、放射線被曝による発癌も、10年ほどの単位で古い型の癌から新しい型の癌へと、癌の種類が変化することがみいだされている。それによると、被爆直後には、まず白血病が生じ、その後、胃癌、肺癌、つづいて乳癌へと、癌の種類が移行することがみいだされている。
《引用終り》
《つづく》
個体発生と系統発生についても書かれています。
《以下引用(p218)》
…人体を例にとると、ヒトの発生――個体発生――と、ヒトが進化してでてきた道すじ――系統発生――は、時間のちがいはあるが、両者は幾何学でいう「相似形」のような関係にあるというのが、この説の核心である。その結果、35億年あまりまえに、単細胞の生物が誕生して以来、多細胞生物から、脊索動物、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、霊長類、類人猿、人類へと進化してきた道筋を、母親の胎内に宿った卵子が、一人前の大人の体になるまでの発生・発育の道すじで、だいたいのところを、大いそぎでくりかえすのが見られる、というのである。
《引用終り》
これが癌についても関係があるらしい、という話は興味深いです。
《以下引用(p220)》
…癌の研究者は、癌の歴史と発病の年齢とのあいだにも、おなじような関係のあることを示唆している。癌が発生する器官を、その器官が起源した歴史的な時間の順に配列すると、古いものから白血球などの血液細胞の癌、つぎに消化器官の癌、リンパ節の癌、新しいものにウイルス性の癌、とならべることができるという。そして、古い型の癌ほど自然褪縮がおこりやすい傾向があるという。また、原子爆弾や原子力発電の事故による、放射線被曝による発癌も、10年ほどの単位で古い型の癌から新しい型の癌へと、癌の種類が変化することがみいだされている。それによると、被爆直後には、まず白血病が生じ、その後、胃癌、肺癌、つづいて乳癌へと、癌の種類が移行することがみいだされている。
《引用終り》
《つづく》
参考文献1「経穴マップ」