トトガノート

All about TOTOGA

2012年04月




天童ホテルに行ってきました。「どっか、家族で温泉にでも行きたいね…」という父のつぶやきが実現しました。そして、ホテルで嬉しかったことが3つ有ったので、書いておきます。

まずは、夕食の時。食事を運んで下さる女性が、好印象でした。ご飯を盛って下さりながら「地元の方ですか?」と切り出して、「自分は県外出身なので…」と何でもないことを話して下さいましたが、自然に親しい人に話しかけるような感じで良かった。子どもにも話しかけて下さり、「皆さん一緒の写真を撮るときは言って下さいね」と言ってくれたことが、家族連れとしては嬉しかったです。

こんなことは客商売のホテルなんだから当たり前かもしれないな…と思ったのですが、でもやっぱりちょっと違うなと思ったのがマジックショーでした。「8時15分からマジックショー」と壁に貼ってあったので、娘たちは楽しみにしていました。大きなホールで仰々しくやるマジックショーなら、昔どこかのホテルに泊まった時に見たことがあるような気がしたので、そんな感じだろうと思っていました。ただ、今回の会場はロビー。ちょっとこじんまりした感じかな…。

8時10分頃にロビーに行きますと10人超くらいでしょうか、人が集まっていました。そして、片隅にいたフロントのお兄さんが「マジックショーはこちらで行いますので…」と声をかけました。「ステージでやるんじゃないのか?」と客たちはつぶやきながら、そのお兄さんの所に集まりました。「マジックは僕がやりますよ」



トランプが中心のテーブルマジックでした。娘たちはマジックが目の前で行われたので、とても嬉しかったようです。

マジックショーが終わるとフロントに戻るというこのお兄さん。21歳で、中学校の頃から趣味でマジックをやっていたそうです。自分の趣味を生かせる仕事というのはなかなか無いと思います。本人も楽しいだろうな…と思いました。

翌朝、朝食はバイキング。私たちが座ったテーブルの近くで、男の子とホテルの若いお姉さんが遊んでいました。仮面ライダーの話をしているようでした。そして、しばらくするとその男の子のお婆さんと思われる女性がやってきて、「遊んでいただいてありがとうございました。」

お婆さんたちは近くのテーブルにいて家族か友達とゆっくり会話をしながら食事をしていたのです。でも、連れの男の子が早く食事が終わってしまえば、ゆっくり会話などできなかったはず。と言って、自分からホテルの人に子守りを頼むなどということはなかなかできません。おそらく、そのお姉さんの方から子守りを買ってでたのでしょう。

そんな、当たり前かもしれないんだけど、ちょっとした気の利いたサービスは、自分が直接受けたわけではなくとも、見ていて快いものです。

いずれも若い従業員だったこと、その人たちが自分も楽しさを感じながら仕事をしているという雰囲気を感じ取ることができて、何だかとても嬉しい気分になりました。

部屋に置かれたアンケート用紙は娘が使ってしまったので(「マジックショーが楽しかった」と自分で書きたいと言い張ったので)、私はブログに書くことにしました。

記:4月2日
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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「3、自信と余裕がない(1988〜1993)」の「3 読解力がちょうどを見分ける尺度」を読みました。(小林教室収蔵

同じ公文式の教室でも、指導者によって進め方はかなり違います。そして、同じ進度の生徒であっても、やはりその後の教材の進め方は違います。その判断材料はというと…

《以下引用》
ところで、「先へ進める」ことの考え方や方法については、指導者によってかなりの違いがあるのは、興味深いことです。ここから先へ進ませるか、それとも復習をさせるかという時、指導者によって、判断の基準が二つに大別されるようです。ひとつは、「ここまで(これだけ)できなければ、進めるわけにはいかない」という考え方です。このことは、「ちょうどの学習」をどう判断するかということでもあり、難しいところではあります。この場合、進め方を判断する手がかりとして、その子がどれだけ読解力(したがって読書力)をもっているかということも、大事な要素となります。(『山彦114』1989)

…例題の意味を読み取って、解いていく方法をえらんだり、これまでに学んできたいくつかの学習課題から新しい定義を考え出したり、また、自分がしている学習の先を予測したりする、こうした力が学年以上の学習には必要になる。指導者の説明を聞いて理解する力もいるだろう。数式と数式との関係を読みとる力、数の意味を考える力、式を立て、先を推測する力、これらすべてが国語力によるものなのだ。

この国語力を基礎学力として、これを基盤にした学習をしていかなければならない。国語を学習して、読解力をつけた生徒は、数学をする舞台を、英語を学ぶ舞台を、確実に一次元あげて学習していくことができるのだ。
《引用終わり》

これは以前書いた「国語力の重要性」を別な角度から言い換えています。

《以下引用》
公は国語力の向上に役立つ方法なら何でも、指導者にきいては、それを他の指導者に紹介していった。いい方法であるなら、多くの教室で活用されるはずである。いい方法であっても教室で手間取るものなら、やがて、消えていく。指導法の開発には、教室の現場での試行錯誤の篩が何よりも必要になるのだ。
《引用終わり》

公氏の、この現場主義・現実主義のやり方は素晴らしいと思います。

《つづく》
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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第七章 単独者」を読みました。

『チベット死者の書』ではバルドと呼ばれた中間世界ですが、イスラーム神秘主義ではバズラフというそうです。

《以下引用》
スーフィズム(イスラーム神秘主義)はこの物質の世界(二元性の世界)と真理の世界(一元性の世界)の中間に位置する心(魂)の世界をバズラフ(barzakh)と呼ぶ。また、復活にも小復活と大復活の二つがあると言う。小復活は今生において真理に目覚めることができなかった者が中間世界(バズラフ)に入ることであり、その世界は大きく分けて天国と地獄の二つに分かれるが、すべては生前の行為に相応しい姿をとって転々と彷徨うイマージュの世界であり、モッラー・サドラーはそのような心(魂)が彷徨うことをタナースフ(tanasukh)と呼ぶ。一方、大復活とは今生で真理に目覚めた者がこの世の源である本源の世界(存在一性の世界)へと帰り行くことであり、今生においてスーフィー的死、すなわち「死ぬ前に死ぬ」ことができた者とそうでない者の違いなのだ。
《引用終わり》

仏教もキリスト教もイスラーム教も、それぞれいろいろな考え方を含んでいるのでしょうが、死後の世界に関して殆ど同じ考え方をしている人たちがそれぞれの宗教の中にいるというのは面白いことです。

例えば、パリに行って来たという人たちが、街の風景について殆ど同じことを言うとしたら、自分が一度もパリの街を見たことが無いとしても、それを信じるのが普通だろう…という考え方があります。

少なくともバカバカしいと言って、一顧だにしないのは間違いでしょう。

《つづく》
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しんてい:GV24(督脈

〈取穴〉:前正中線上で、前髪際を入ること5分に取る。
〈標準〉:頭部、前正中線上、前髪際の後方5分。



〈筋肉〉:帽状腱膜、前頭筋。

〈運動神経〉:顔面神経。
〈知覚神経〉:滑車上神経、眼窩上神経。

〈血管〉:滑車上動脈、眼窩上動脈。

〈主治〉:頭痛、めまい、鼻や眼の疾患、不眠、高血圧。
〈特殊〉:頭痛の常用穴

〈関連痛領域〉

参考文献1「経穴マップ」
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「新・人体の矛盾」の「9 胎盤の出現」を読みました。(小林教室収蔵

胎盤ということですが、最初に後産(あとざん)について書いておきます。お産というと、子どもが出てくればおしまいだとばかり思っていたのですが、その後に後産というものがあって、これもなかなか苦しいものらしいです。

後産で出てくるのが、役目を終えた胎盤です。直径16〜20センチほど、厚さが2〜3センチほどの、ホットケーキのような形をした、血のしたたるスポンジ状のものだそうです。

妊娠中の子宮壁には絨毛間腔と呼ばれる空洞ができて、母体からの動脈と静脈がここに開放されています。胎児から伸びてきた臍帯の中の動脈と静脈は胎盤の中に入り複雑に枝分かれしていますが、絨毛間腔の中で折り返しているだけ。母体の血液と胎児の血液が混じり合うことはありません。

例えるなら、母体の血液がバケツの中に入っていて、これに胎児側の血管が木の根っこのように浸っているような形。出産のタイミングで、バケツの底が抜けて、木の根っこがバケツの枠ごと引き抜かれたものが、後産で出てくることになります。

胎児が生きて成長するための栄養の摂取や呼吸、老廃物の排泄が全て胎盤で行われるわけで、そういう意味では腸であり、肺であり、腎臓なわけです。

そのうえ、熱交換(体温調節)も行われています。これが行われないと、高熱のために胎児の生命も危険になると考えられています。胎児は、爆発的な細胞分裂を繰り返しているわけですから、発熱も凄いんですね。

《つづく》
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L教材の100番まで終わりました。

『淮南子』は、淮河(わいが)南方の淮南(わいなん)の王劉安(漢の高祖劉邦の孫)が編纂させた書物ですが、「えなんじ」と読むそうです。中央において儒家による思想統一の動きが強まっていたので、この地方には道家の学者が多く集まっていました。そんなわけで、この書も道家を中心とした諸家の学説を含む百科全書的性格の書に仕上がっているとのこと。

秦代には荀子や韓非子が重用されて、反儒教的雰囲気でしたが、漢になってまた儒教が復権してきたようです。

内容に統一性とか関連性はないようですが、いろいろな短い話が書いてあって面白いです。一番有名なのは「塞翁が馬」ですね。

『史記』は改めて読み返してみますと、司馬遷の描写のうまさを感じます。引用部分は、項羽と劉邦の所です。「鴻門の会」と「四面楚歌」。学生時代に確かに習ったことを覚えているので、それだけ内容が面白かったということだと思います。

一人の人間として項羽と劉邦を比較したときに、項羽の方が圧倒的に能力は上なわけです。「鴻門の会」では劉邦の命を助けてやったと言えなくもない。それなのに劉邦は楚と漢の和睦協定を破っているわけで、あまり好きにはなれません。一方、項羽は人格的な欠陥があったとはいえ、悲しい結末は判官贔屓を誘います。

【グラス片手に大人の公文】国語〔L-100〕
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「自己認識への道」(法蔵館)
「第二部 トマスの福音書 真知の覚―自己認識と神認識」の「第七章 単独者」を読みました。

『チベット死者の書』では、中間世界をバルド(中有)と呼ぶそうです。中間は死から次に再生するまでの四十九日間を言います。今生で真理(法)を覚れば、究極の身体(法身)を得て、バルドを彷徨うこともなく、本源の世界(法界)へと帰り、二度とこの世には戻らない。しかし、多くの人の場合は、辿り着いた世界(バルド)は自らのカルマに随って次々と起こるさまざまな幻影に惑うイマージュの世界…

《以下引用》
このように『チベット死者の書』における中間世界(バルド)は文字通り死と次に生まれるまでの間に位置する幻影の世界であり、多くの者たちがこの道(チョエニ・バルド)で彷徨うことになるから、まさに死の瞬間(チカエ・バルド)から次の再生(シパ・バルド)に至るまでの間、死者(の魂)を教え導くことを目的に編まれた経典である。しかし、殆どの人は中間世界でも覚ることはできず、男女の交愛の幻影に惑わされ、再び子宮の中へと入る。…かくして、われわれは生と死からなる物質世界を再び捉え、土からなる血肉のからだを纏って、また一から営々と生業に勤しむ。
《引用終わり》

以前、私は不思議な方々に率先してお会いしていた時期がありましたので、臨死体験の経験者(自称)にもお会いしました。「自らのカルマに随って次々と起こるさまざまな幻影に惑うイマージュの世界」は、自分が他人に対してしたことを他人の立場で体験するので、酷いことをしてきた人にとっては正に地獄だという話でした。

それは、本当なのか、幻覚なのか…当時『チベット死者の書』はNHKでも取り上げてスペシャルを組んだり本を出版したりしていましたので、それを夢中になって読んだ結果なのか…

ともかく、チベットでも中間世界(バルド)という考え方があるということですね。

《つづく》
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じょうせい:GV23(督脈

〈取穴〉:前正中線上で、百会の前4寸、前髪際の上1寸に取る。
〈標準〉:頭部、前正中線上、前髪際の後方1寸。



〈筋肉〉:帽状腱膜、前頭筋。

〈運動神経〉:顔面神経。
〈知覚神経〉:滑車上神経、眼窩上神経。

〈血管〉:滑車上動脈、眼窩上動脈。

〈主治〉:頭痛、めまい、鼻や眼の疾患、不眠、高血圧。
〈特殊〉:

〈関連痛領域〉

参考文献1「経穴マップ」
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公文式に関して、よくいただく質問(FAQ)について、私なりに回答しています。事務局や、他の先生方や、私の妻が回答すればまた違った答えになると思いますので、その辺はおくみとりいただいてお読み下さい…

今回は、「教えてくれないのか?」という質問です。公文の先生は答えを教えるということは(原則として)しません。公文の宿題をしている子どもが「わからない!」と言うと、おうちの人は「先生に聞きなさい!」と言うでしょう。すると「聞いても教えてくれないもん!」と子どもが答える。「うちの子は教えてくれないから分からないのです。教えてくれないんですか?」という質問が出てきます。

公文の教材は普通の問題集とは違って、ヒントや例題が書いてあります。教えてもらわなくとも解けるようにできています。なぜなら、公文式が目指しているのは自学自習ができる人を育てることであって、単に問題が解けるようになることは二の次だからです。「公文式は学習塾ではない」というコピーは、そういう意味(のはず)です。

これは「魚を与えるか、魚の獲り方を教えるか」の問題に例えると分かりやすいでしょうか。「わからない」と言うからといって答えを教えてしまうのは、「お腹が空いた」と言われるたびに魚を与えてしまうのと同じです。しかし、いつまでも親が魚を与え続けるわけにはいきません。子どもにとって本当に必要なのは、魚を自分で獲る術を身に付けることなのです。

小さいうちから自分で魚を獲れるようになれば、狩りは上手になるはずだし、一生食べるのに困らなくなるだろう。そのためには、魚をすぐには与えずに自分で獲る工面をさせた方がいい。それこそが真の親の愛情というものだと思います。

公文式の教材には、ヒントが隠されています。だから、クイズとかなぞなぞの一種だと思って下さい。あるいは、推理小説だと思って下さい。「答え教えようか?」とか「犯人はね…」とか言うと、大抵は「待って!まだ、言わないで!」と言いますね。どうしてもわからなくても、すぐに「やっぱり答えを教えて!」とは言わないで、「ヒントちょうだい!」と言うはずです。

それは、自分で解いた時の快感を味わいたいからです。「わかった!」という瞬間を味わいたいからです。この瞬間に、言わば脳の中に電流が走って、この時に使った思考パターンが神経回路として固定されるのです。勉強とは、本来、この快感に満ちたものなのです。

この喜びを知って欲しいから、公文の先生は、すぐに犯人を教えるような野暮なことはしないのです。

《最初から読む》
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「現代ソフィスト伝」の第二部「四、学力の外にあらわれる個人差」の「3、自信と余裕がない(1988〜1993)」の「2 公の教育改革、国語が数学をこえる」を読みました。(小林教室収蔵

公文式は計算だけ、と言われ続けてきました。また、勉強だけしていると人間性は成長しないという批判もまことしやかに横行しています。それでスポーツが奨励されたこともありましたが、それから数年して明らかになったことはスポーツマンも悪いことをするということです。

「勉強」をしているから人間性が育たないとか、「スポーツ」をしていると人間性が育つとか、これはやり方しだいだと思います。人間性が磨かれるような「スポーツ」のやり方はあるし、人間性が磨かれるような「勉強」のやり方もあるはずです。

《以下引用》
公文式の原点―それは、子どもにとって公文の学習がおもしろくてたまらない、教室に行くのがうれしくてしようがないという状態であることです。学校ではまるで勉強しないと言われている子が、公文式の教室では見違えるようながんばりと集中の姿をみせてくれることは、先生方がすでによくご存知のことでしょう。その子その子のちょうどのところを与えていくならば、子どもはとても勉強をおもしろがるものであるというこの事実は、学校の先生にはわかりにくく、ちょうどの学習を追求する公文式であるからこそ、発見できたことと言っていいでしょう。(『山彦115』1989)
《引用終わり》

やっていることが何であれ、この状態でいることが大切なのだと思います。

《以下引用》
生徒は、学習の出発点から自分の学年に至るまでの期間に、作業力をつけ、学習に向けての基本的な体力を鍛えていく。しばらくして、学習は、学年相当の教材をこえて、二学年先、三学年先へと進む。この期間が、生徒たちはこれまで経験したことのない集中力、粘り、挑戦力といった、学力以外の能力を必要とするときである。学習はたしかに苦しい。自分だけがなぜ、といったグチも出る。しかし、子どものなかには前向きな向上心がじょじょに育っていく。苦しいけれど、緊張感のある学年以上の学習を終えたあとに見えてくるのが、高校内容の教材。自習力が十分でないと、へこたれてしまう教材群である。内容ももちろん高度であるが、自分自身で学ぼうとする意欲が必須となる場所でもある。この期間に、生徒は自律的な学習姿勢を形成することの大切さを学ぶ。
《引用終わり》

これは、武道の道場に近いかもしれません。昔の運動部にも道場のような雰囲気がありました。

国語力の大切さに気づいた公会長は、海外の活動にも取り入れていきました。1990年(平成二年)9月には、オーストラリアで英英教材を使用開始しました。その後、ブラジル人のポルトガル語教材、中国人の簡体字教材・繁体字教材、アメリカ人のための米語教材などが開発されました。

《つづく》
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