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このころ、公氏は幼児教育へと進んでいきます。それはありがちな業務拡張とか多角経営とは視点が違います。
《以下引用》
私たちの仕事は、子どもの能力差を見定めることから始まりますが、その際大切な問題があります。それは、子どもの能力差が、いつごろからどのようにして始まり、どの程度の差をつくっていくかという疑問であります。私たちの五年前の指導であれば、教室に来てくれた生徒の能力差を見出し、その子に合った教材を与えることはできましたが、そのどのように生じるかにつきましては、まだまだはっきりとしたことが言えないのが実情でした。ただ、幼児から始めたほうが伸びるということを手がかりにAA教材やかずあそびを開発していったのが、今から六年前になります。(『山彦64』1980)
わたしはこうした公の感性、教育的センスがおもしろいと思うのだ。世間の幼児教育家と一線を画しているではないか。情操の教育が幼児教育の中心であるとか、右脳教育が大事だとか、0歳児からの幼児教育などなど、世間では相変わらずの、ぼやっとした根拠薄弱な幼児教育論があふれている。しかし、公は、能力差のその始まりの大元が知りたい、どこからこの差は生まれ出るのか、ここに関心がある、というのだ。
《引用終わり》
こういう関心の持ち方は、経営者としては変ってるかも知れませんが、教育者としては極めて自然だと思います。
《以下引用》
学習枚数と復習を多くすることで、完成時間を短くし子どもをつねにラクに指導することができるようになりました。また、子どものもつ能力の素晴らしさが知られてきたことにより、これまで遅進児と思われてきたのが実は現在の私たちの一般論と照らし合わせてみて、指導の失敗であったということがわかり、今では、次のことがある程度はっきりと言えそうです。「優秀児は指導者でもってつくられる、遅進児も指導者でもってつくられる。そこで遅進児をつくるにはどうすればよいか、一カ月の使用枚数と復習を少なくすればよい。優秀児をつくるにはどうすればよいか、一カ月の使用枚数と復習を多くすればよい」ということになりそうです。こう申しましても、すべての生徒がそうであるということではないにしても、80〜90%の優秀児、遅進児は指導者によってつくられているのが現状ではないでしょうか。(『山彦66』1981)
処理能力という考え方を教育にもちこんだ公であったが、ここで選ぶ言葉は慎重である。すべてが解決されたわけではなかった。子どもたちの現実態はつねに広くて、深い。しかも、指導力の差によっては、学習不振児を生み出す危険すらあるとなれば、指導にあたる者も安穏としていられない。指導の研鑽もつまずに、障害児はこうだ、遅進児はああだ、問題行動を起こす子はこうだなどと、同じ場所にとどまったまま世間話をしているわけにはいかないのである。
《引用終わり》
優秀児を生み出しうるということは、逆に言うと遅進児をも生み出しうるということなわけです。表裏一体の同じ意味です。ですが、とかく前半部だけを取り上げ、後半部は黙して語らないものです。
これを敢えて指摘し、指導者自身に、日々の接し方が両刃の剣であることを知らしめている…ということでしょうか。
1980年4月に英語教室スタート、1981年4月には国語教室スタート。(国語より英語が先だったというのは意外でした)
1982年4月に学校法人公文学園「のびていく幼稚園」を開園、10月には全国の教室に「公文式幼児教室」を設置し、国語教室の開設を機に「くもん文庫」の設置も各教室に義務付けらたということです。
幼児の時期から公文をすることの重要性は、生徒さん達をみていて日々感じることですが、これが国語教室よりも後にスタートしていたというのも意外でした。
《つづく》