「瞑想の心理学」(法蔵館)
第四章「方法論―止観双修」の「真実の自己――無我の大我」を読みました。
《以下引用》
仏教が人類に呈示した教義の中で、最も特徴ある教えは無我(無自性・空)の思想であろう。存在するすべてのものには実体がなく、相互依存的に存在しているというものだ。
《引用終わり》
この教えの下、前回の仮我を消し去ることで、無我の大我となる。
《以下引用》
この大我はさらに「法界の大我」と表現されてくる。法界とは、人間はもとより存在するすべての本源(諸法の本源)であり、われわれが帰るべき生の源泉である。すると、大我とは万物と同根となった大いなる自己ということであり、宇宙に遍満し、すべてのすべてとなった自己を言う。この諸法の本源へと辿り着いて初めてわれわれは生死際なき迷いの世界を離れ、真の自由というものを手にするのだ。
仮我の狭い境界を超え、宇宙に遍満する「法界の大我」という考え方は、容易にイスラーム神秘主義の「普遍的人間(al-insan al-kamil)」を思い起こさせる。この考えを受けてルーミーは、人間を世俗的人間と霊的人間の二種類に分け、それぞれミクロコスモスとマクロコスモスを当てる。彼は「普遍的人間」をマクロコスモス、すなわち時間と空間を超えた存在と捉え、それをわれわれ人間が達成すべき「完全な人間」と見なしている。
《引用終わり》
イスラームの思想もなかなか興味深いです…。
《つづく》
第四章「方法論―止観双修」の「真実の自己――無我の大我」を読みました。
《以下引用》
仏教が人類に呈示した教義の中で、最も特徴ある教えは無我(無自性・空)の思想であろう。存在するすべてのものには実体がなく、相互依存的に存在しているというものだ。
《引用終わり》
この教えの下、前回の仮我を消し去ることで、無我の大我となる。
《以下引用》
この大我はさらに「法界の大我」と表現されてくる。法界とは、人間はもとより存在するすべての本源(諸法の本源)であり、われわれが帰るべき生の源泉である。すると、大我とは万物と同根となった大いなる自己ということであり、宇宙に遍満し、すべてのすべてとなった自己を言う。この諸法の本源へと辿り着いて初めてわれわれは生死際なき迷いの世界を離れ、真の自由というものを手にするのだ。
仮我の狭い境界を超え、宇宙に遍満する「法界の大我」という考え方は、容易にイスラーム神秘主義の「普遍的人間(al-insan al-kamil)」を思い起こさせる。この考えを受けてルーミーは、人間を世俗的人間と霊的人間の二種類に分け、それぞれミクロコスモスとマクロコスモスを当てる。彼は「普遍的人間」をマクロコスモス、すなわち時間と空間を超えた存在と捉え、それをわれわれ人間が達成すべき「完全な人間」と見なしている。
《引用終わり》
イスラームの思想もなかなか興味深いです…。
《つづく》