トトガノート

All about TOTOGA

2011年08月

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くもんのすいせん図書(Cの5番)「エルマーのぼうけん」の後半を読みました。(小林教室収蔵

どうぶつ島というだけあって、動物園のように動物が現れます。エルマーはその都度危険になるわけですが、それぞれの動物の特徴を見つけて、リュックに入れてきた物で気をそらし、危機を乗り切ります。

毎回同じパターンが繰り返されますが、子どもはこの繰り返しが大好きです。水戸黄門が受けているところを見れば、大人も同じパターンの繰り返しは好きなようです。

お話は全部で三冊あります、と最後に宣伝。なかなか商売上手です。

エルマーとりゅうが出会ったところでこの本は終わってますから、やはり続きは気になりますよね。

《最初から読む》
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「現代ソフィスト伝」の第一部の「四、知の力」を読みました。(小林教室収蔵

公文公氏が高知高校(昭和五年入学)から大阪帝国大学に在学している頃の時代や出会いが描かれております。この頃に培われた、数学という学問に対する氏の考え方にも触れています。

《以下引用》
教育の世界では、相も変わらず、思考力の育成が問題になっている。にもかかわらず、これといった新しい指導法が生み出されたという話はきかない。考える前提になるのは、事実であり、実態である。ところが、人々は考えるためのスキルの方ばかり目をやる。指導においても然り。これでは思考力育成の糸口が見出せないのも当然である。
《引用終わり》

それは例えば…

《以下引用》
集合数か、順序数か。たいした問題ではないではないか。何を言っているのだ。やれる方を先にするしかないのだ。だったら、+1は次の数だし、+2は次の数の次、これの方が学びやすい生徒が多いのではないか。これがラクにできれば、数を集合としてみる見方はしぜんと生まれる。
《引用終わり》

以下は公文氏直々の文章の引用。

《以下引用》
教材というのは、逆にあまり考えさせる問題というのは良くないと思うんです。「数学が自分で好きであった。なぜ好きかというと2日も1週間も考えて解いた時のうれしさがあるから数学をわすれない」と言う人があるんですが、考えさせる問題はそれよりもかえって、人を数学嫌いにさせる場合がはるかに多いんです。そんなに考えさせてもいけないんです。無理な考えをさせても。したがって、できない生徒にはパッと教えて済んだっていいんですね。
《引用終わり》

公文の教材は、ひっかけみたいな意地悪な問題とかが無くて、親切な(易しいのではなく優しい)問題で構成されていると常々思っていたのですが、理由が分かりました。「パッと教えて済」ますのも効果的であることは、教室で何度も目の当たりにしています。

《以下引用》
とにかく先に進んでいけば、だんだん完成してきて、いいも悪いもなくて、暗算ができてしまうようになる。できてしまうのだから、暗算に理由などはない。もちろん、足し算にも格別深い値打ちはない。掛け算を習っていたら、足し算ができていた、それだけのことである。しかし、こうした学習が生徒一人一人には意味をもつ。指導者が考えた到達点にたどり着くには、もちろん、個人差が存在する。この個人差を認めてなお、学習そのものの意味を生徒個々に得させるのだ、という覚悟がなければ、教育から何も生み出せはしないのだ。
《引用終わり》

集中学習の時などは、採点を先に進んでいる生徒にやらせるのもいいと書いてあります。これは、生徒同士を競わせ、先に進んだ生徒が後れている生徒に教えるという適塾(緒方洪庵の塾:大阪大学医学部の前身)のやり方を参考にしているそうです。

《つづく》
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悟りへの道 に参加中!
「瞑想の心理学」(法蔵館)
第二章「現象論―三界唯心」の「現代物理学」を読みました。

《以下引用》
われわれはこの心が、心源の不覚によって生じてきた妄心であることを知っている。この不覚妄心が見るものと(主)見られるもの(客)に分裂した結果、われわれは自己を世界から分離した「私」として見るようになる。そして、心それ自体がこの現象世界を作り出す担い手であるから、心を捨象して世界を論じることはできないのは当然であるが、一方、彼は気づいていないけれども、「私」もまた同じように心を捨象して論じることはできないのだ(後で詳しく取り上げる)。つまり、私も世界も心を離れては存在しないのだ。こんなわれわれが心(思考)でもって現象世界を解明しようとしても、それは無理というものだ。

思考それ自体が現象の一部であり、完全に現象の中に巻き込まれているから、思考により現象の根源を理解することはおそらく不可能である。(シュレーディンガー『量子の公案』)
《引用終わり》

シュレーディンガーの波動方程式…懐かしいなぁ。

《以下引用》
心(宗教)ならば瞑想などによって心の本源へとより深く入っていくことによって、心と物、あるいは心と世界が分かちがたく結びついていることを知るのであり、一方、物(科学)に関しても、物質を構成する基本要素を見極めようとして、分析に分析を重ねた微細レベルで初めて、心と物が相互に関係していると分かるだけなのだ。われわれが意識レベル、すなわち日常意識で見ている限り、相変わらず心と物、あるいは私と世界はそれぞれ外的に存在しているようにわれわれには映る。私はものの見方には二つあるとしたが、心と物についてヴァーティカルにその本質を見極めようとするとき、初めてそれらが相互に依存していることが分かるというだけなのだ。
《引用終わり》

この宗教と科学の対比は面白い…。

《つづく》
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こけつ:CV14(任脈 心経の募穴)

〈取穴〉:前正中線上で、中かんの上2寸に取る。
〈標準〉:上腹部、前正中線上、臍の中央の上方6寸。

〈筋肉〉:白線

〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:肋間神経前皮枝

〈血管〉:肋間動脈、上腹壁動脈

〈主治〉:心下痞満、食後腹脹、胃痛、嘔吐、吐き気、噫気、口臭、吐血、黄疸、横隔膜痙攣。
〈特殊〉:去痰、安眠作用。

参考文献1「経穴マップ」
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悟りへの道 に参加中!
「瞑想の心理学」(法蔵館)
第二章「現象論―三界唯心」の「心と法」を読みました。

《以下引用》
「三界唯心」の最後に『起信論』の中でも空海や白隠など、宗派を問わず多くの思想家たちによって引用されてきた有名な言葉がある。

心生ずればすなわち種々の法生じ
心滅すればすなわち種々の法滅す
(『起信論』17)
《引用終わり》

『起信論』はわれわれの心を妄心(心生滅)と真心(心真如)の二相に分けていますが、もちろん、ここで言う心は妄心です。

《以下引用》
心は是れ根 法は是れ塵
両種猶お鏡上の痕の如し
痕垢尽く除いて光始めて現ず
心法双び亡じて性即ち真なり
(永嘉玄覚『証道歌』)

心が生ずるとさまざまな物が現れてくる。そして、その心と物はあたかも鏡の上に積もった埃のように、われわれから真実を覆うヴェールとなっている。もしわれわれがその埃(心と物)を取り除くことができたら、たちどころに真理はそのありのままの姿を顕すであろうと彼は見ている。
《引用終わり》

つたない私の比喩シリーズ…鏡のような光学系の話であれば、こちら。埃を落とすという話であれば、こちら。おひまでしたらご覧下さい。(笑)

《つづく》
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「新・人体の矛盾」の「1 血液と太古の海」を読みました。(小林教室収蔵

井尻正二さんは「野尻湖のぞう」(くもんの推薦図書)の著者でもあります。「現代ソフィスト伝」にも登場します。

同じコンセプトの本(「人体・失敗の進化史」)が最近も出ていますが、井尻さんの本は視点がユニークで面白いです。

例えば、人体を構成している器官が生物史上に登場してくるタイミングがバラバラなのですが、これを説明するのに家庭の中を見渡します。ナイフは石器と考えれば紀元前70000年、鏡は紀元前6000年、洋服は1870年、電灯は1887年、テレビは1953年…etc。

こういった具合に、体内の各器官について見ていきます。今回は血液。これは35億年前の生命の起源にまで遡る最も古株の人体のパーツと言えそうです。

本書では体液の相対的イオン組成(ナトリウムを100とした時の、カリウム、カルシウム、マグネシウム、塩素、亜硫酸の量)が紹介されており、クラゲ、ウミザリガニ、ツノザメ、タラ、カエル、イヌ、ヒトの体液と海水が比較されています。その傾向は生物も海水も似ており、下等な動物ほど海水に近い傾向が見られます。

本書の内容からは離れますが、体液中のナトリウム濃度と言われると血圧のことが頭に浮かびます。ナトリウムを摂り過ぎると高血圧になる…。

血圧を下げるにはカリウム、カルシウム、マグネシウムの摂取が有効と言われていますが、要するにナトリウムの過剰摂取によるイオンバランスの崩れを是正することに他ならないことが、イオン組成の表を見ると分かります。

海水から取った天然の塩が体にいいというのもうなづけます。

いろいろな添加物が入った食品は、私たちの体液のバランスを撹乱します。これは35億年前から伝統を撹乱していることになります。

《つづく》
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くもんのすいせん図書(Cの5番)「エルマーのぼうけん」の前半を読みました。(小林教室収蔵

小学生のころ、図書館で借りたような記憶はあるのですが、読んだ記憶はありません。「どうせ、作り話だから」とか屁理屈を言うのが好きな可愛くない子どもだったので、おそらく読まずに返却したのではないかと思います。

大人になった今、読んでみると、とても面白い。自分は何と寂しい少年だったことか…

一匹の野良猫を可哀そうだと思って、子ども(エルマー)が拾ってくるところまでは、どこにでもあるありふれたお話。でも、猫が自分の若いころの旅行談を語り始めた辺りから、奇想天外な冒険物語が始まります。

話が面白いからか、文章が読みやすいからか、いつの間にか夢中で読んでいました。

「みかん島とどうぶつ島のちず」が添付してあります。親切な本です。

《つづく》
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