「瞑想の心理学」(法蔵館)
第一章「認識論―不覚無明」の「心の教育」を読みました。
前回の「無知」と「無明」の違いを踏まえますと、「無知」から「知」への移行は「無明」への接近にも等しく、「知」を追求し続ける我々の社会が発展すればするほど事態は悪くなっていることが当たり前に思えてきます。
《以下引用》
…無明から起こってきたわれわれの心(妄心)が健康であるか、不健康であるかなど、われわれの本心である真心(自性清浄心)から見ればさしたる違いはない。ここで、心の健康とは社会に適応し、普通に社会生活が営める良識ある人々であり、一方、不健康とはそれを行うことが難しい病める人のことだ。もちろん、後者を普通に社会生活が送れるように教育し、また引き上げることに手を差し伸べることは大切なことである。
しかし、その社会がどうしようもなく病んでいることは、心の健康に絶対に自信を持っているだけでなく、過剰なまでに社会に適応している不遜な輩が、国防よりも自分たちの保身のために証拠隠滅を図っている社会なのだ。こんな社会に適応し、順応したところで、少しばかりプライドが満足されるかもしれないが、あなたが本当に得るものなど何もないだろう。
《引用終わり》
この境地に立てば、存在価値が見出せない国の政治に腹を立てる気持ちも無くなります。ただただ、悲しい…
《つづく》
第一章「認識論―不覚無明」の「心の教育」を読みました。
前回の「無知」と「無明」の違いを踏まえますと、「無知」から「知」への移行は「無明」への接近にも等しく、「知」を追求し続ける我々の社会が発展すればするほど事態は悪くなっていることが当たり前に思えてきます。
《以下引用》
…無明から起こってきたわれわれの心(妄心)が健康であるか、不健康であるかなど、われわれの本心である真心(自性清浄心)から見ればさしたる違いはない。ここで、心の健康とは社会に適応し、普通に社会生活が営める良識ある人々であり、一方、不健康とはそれを行うことが難しい病める人のことだ。もちろん、後者を普通に社会生活が送れるように教育し、また引き上げることに手を差し伸べることは大切なことである。
しかし、その社会がどうしようもなく病んでいることは、心の健康に絶対に自信を持っているだけでなく、過剰なまでに社会に適応している不遜な輩が、国防よりも自分たちの保身のために証拠隠滅を図っている社会なのだ。こんな社会に適応し、順応したところで、少しばかりプライドが満足されるかもしれないが、あなたが本当に得るものなど何もないだろう。
《引用終わり》
この境地に立てば、存在価値が見出せない国の政治に腹を立てる気持ちも無くなります。ただただ、悲しい…
《つづく》
参考文献1「経穴マップ」