トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2011年06月

ブログネタ
★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
くもんのすいせん図書(3Aの46番)「ガンピーさんのドライブ」を読みました。

小林教室周辺の教室が共同で図書を購入して、巡回図書館のようにしています(通称「おにぎり文庫」)。今月の一冊でした。

軽い気持ちで車に乗り合わせたため、立ち往生した時には誰も自分から骨を折ろうとは思わなかったけど、結局はみんなでやろうということになって、楽しいドライブとして終わりました…というシンプルなお話ですかね。

イギリス(?)の田舎が舞台で、軽いタッチの絵が爽やかです。

今では、田舎で他人を車に乗せるにも、事故が起きたらどうする?とか、どんな保険に入っているかとか、気にしなければいけなくなりました。先日は定員オーバーで大事故も起きました。シートベルト、携帯電話、と懸念材料はいっぱいあります。

それだけ、車社会が円熟してきたということなのかもしれませんけど。

そういった面倒なことは全然関係ない時代、土地、人々のお話。シンプルにドライブを楽しんでいますね。
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「公文式英語教育の方法」の「第三章 公文式英語教育の順序」を読みました。(小林教室収蔵

この章は、初級の教材から上級の教材まで、それぞれの配慮が説明してあります。面白かったのは、幼児にどんな単語を学ばせるかということ。

公文式の国語ではひらがなよりも漢字を先にします。これは普通の大人には意外なのですが、漢字の方が字形の特徴をとらえやすく視覚的に認識しやすいからだそうです。

それは英単語についても言えるそうで、hat や bat という特徴の少ない単語よりも、spaghetti のように日常生活に身近で特徴のある文字の方が認識しやすいらしい。

《以下引用》
ところが、この漢字教育について、数多くの実践例が集まると、まるごとおぼえるごく低い年齢においては、思ったより漢字とひらがなの難度の差が少ない、と報告されるようになってきました。
《引用終わり》

それを参考にして、英単語は特徴のとらえやすさよりも、文字数が少なく、一音節の発音で、音をまねしやすいものを先に学習するように配慮したそうです。

《つづく》
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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第一章「認識論―不覚無明」の「深層意識<三細>」を読みました。

《以下引用》
…『起信論』は根本不覚に続いて、「三細」と「六麁」からなる枝末不覚が起こってくると言う。六麁の「麁」は粗大という意味であり、われわれの日常生活の中でも自覚されうる粗大な心を言う。一方、三細の「細」は微細という意味であり、粗大な心のさらに内側にある深層レベルで、ほとんどの場合、自覚されないままに存在している微細な心を言う。「六麁」を表層意識とするならば、「三細」は深層意識と言えるだろう。
《引用終わり》

デヴィッド・ボームが提唱する明在系と暗在系が、それぞれ「六麁」と「三細」に対応するようです。

唯識の八識で言えば、五識と意識を合わせた六識が明在系で、末那識と阿頼耶識は暗在系。

三細の三種の相については以前もまとめましたが、本書に沿って再度まとめてみます。

1.無明業相(むみょうごつそう)
根本不覚ゆえに、われわれが無明の相、すなわち生死輪廻する業(カルマ=行為)の世界に入ること。不覚の心(妄心)が続く限り、われわれは徒に生と死を繰り返し、虚妄の世界をさ迷うことになる。

心源の不覚によって三界生死の迷いの世界に入ったとき、心は見るものと見られるもの、経験するものと経験されるものの二つに分かれる。不覚ゆえに生じた無明の心(妄心)は主体と客体の二相に分かれる。

2.能見相(のうけんそう)
見るもの。経験する主体。

3.境界相(きょうがいそう)
見られるもの。経験世界(客体)。

「業(カルマ)」という言葉は、三細の無明業相でも、六麁の第五の起業相でも出てくる。六麁の業は身・口・意の三業(行為)で、普通われわれが行為(業)ということで考えているもの。三細の業は深層レベルの出来事で、われわれは全く自覚していないけれども、不覚ゆえに心が揺らぐところに、すでに業(カルマ)による生死の世界が始まっていることを意味する。

《つづく》
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2000円コースの構成例
〔1〕触察のみ:触察(31分)
〔2〕鍼か灸か:触察(29分)+鍼(4本)or 灸(4壮)
〔3〕鍼も灸も:触察(27分)+鍼(4本)+ 灸(4壮)

詳細は以下のとおりです。

触察料:
標準(33分)で 1747円
※100円(2分)単位で増減できます

出張費:
・1人の場合:380円
・2人の場合:280円
・3人以上:180円

追加項目:
・鍼25円(1本)、灸25円(1壮)

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします

※今回反映します消費者物価指数(生鮮食品を除く)99.8は4月のものです。
※当院の価格に対する考え方はこちら

・6月の価格
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「瞑想の心理学」(法蔵館)
第一章「認識論―不覚無明」の「無明の忽然念起」を読みました。

《以下引用》
…では、無明はいつ始まったのであろうか。言い換えれば、われわれは不生不滅の永遠の世界から生滅する時間の世界に、いつ退転してきたのかということだ。

…それは、心源の不覚とともに時間は始まったと理解することで解決される。つまり、不生不滅の永遠の世界から生滅する時間の世界にわれわれが入ったそこは、いわば「始源の裂け目」であり、われわれは無時間の世界から時間の世界に入ったということだ。そして、心源の不覚によって生じた心(妄心)が時間を紡ぎだしていると見るのだ。

…無明には始まりがなく、しかも原因なくして起こってくるところを『起信論』は「忽然」と言い、無明は時間の中で起こったのではなく、時間とともに始まったということで「無明の忽然念起」と言ったのかもしれない。
《引用終わり》

この『起信論』の説明は、SF的な雰囲気があって素敵です。

相対論の最も衝撃的だった点のひとつは、時間さえも相対的であると指摘した点だと思います。物体の運動の仕方で時間の進み方は違う。重力の強弱でも時間の進み方は違う。

時間の進みを早く感じたり遅く感じたり、というのは完全に自分の錯覚だと思っていましたが、時間そのものも歩みを早めたり遅らせたりすることがある…。

『起信論』では、時そのものが妄心によって生じるという。

「忽然」は仏教用語としては「こつねん」と読むようです。

《つづく》
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せきもん:CV5(任脈 三焦経の募穴)

〈取穴〉:前正中線上で、神闕の下2寸に取る。
〈標準〉:下腹部、前正中線上、臍中央の下方2寸。

〈筋肉〉:白線

〈運動神経〉:
〈知覚神経〉:肋間神経前皮枝

〈血管〉:浅腹壁動脈、下腹壁動脈

〈主治〉:小便不利、生理不順、腎炎、水腫、下痢、腹痛、産後の体力の回復
〈特殊〉:避妊作用(古典記載)

参考文献1「経穴マップ」
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くもんのすいせん図書(4Aの25番)「はなをくんくん」を読みました。

小林教室周辺の教室が共同で図書を購入して、巡回図書館のようにしています(通称「おにぎり文庫」)。今月の一冊でした。

冬眠している動物たちが、鼻をくんくんさせています。そして皆が「何か」を目指して集まり始めます。

何だろう?何が起こるんだろう?

動物たちが目指したものは小さな春の兆しでした。その小さな「何か」の周りにたくさんの動物たちが集まります。

原題は「The happy day」。春の兆しを感じた日、それが寒い冬を耐え続けて生きた動物たちにとって、とても幸せな日なんですね。

とてもシンプルな構成なんですが、読むととても幸せな気持ちになりました。
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「公文式英語教育の方法」の「第二章 公文式英語学習法とは」を読みました。(小林教室収蔵

《以下引用》
文にはルールがあります。ルールを頭で理解するのではなく、運用できるレベルにまで高めなくてはいけない点は、算数・数学と同じです。英文を構成する語順や主語と(述語)動詞の対応など、基礎段階のルールは、知識としてではなく、自ずと身についているレベルにまで高めなくては、次のステップ、複雑な英文の理解には到達しないと考えるのです。

そしてもうひとつ大切なことは、ルールはほかから知識として与えられるのではなく、自らルール化の過程を踏むことで、より深く認識されるということです。公文式は徹底した自習方式をとります。語や文を読み、はじめは例で示されたものをまねすることから、徐々に発展した問題にあたっていく過程で、子どもは自らルールをつかみとっていきます。
《引用終わり》

私も中学教材は数学も英語も修了しておりますが、確かに両教科で同じ工夫がなされているように感じました。

先日小学館から出ました「くもんのヒミツがわかる本」でも、51ページに「読み書き計算のくもんが教えると英語はこうなります。」という見出しで、英語教材についての記事が出ています。それによると…
《以下引用》
●くもんでは…音声をたくさん聞き→音読し→書き→言葉の蓄えを増やしてから→文法のスモールステップ
●一般的な中学では…発音、読み書き、文法を同時に習う。
《引用終わり》
という違いだそうです。

確かにそういう工夫も感じられましたが、私の場合は一通り英語教育を受け終わってからの再挑戦でしたから、このシステムの良さを実際に体感することはできませんでした。

《つづく》
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「意識と本質―精神的東洋を索めて」(岩波文庫)
「意識と本質 3」を読みました。

前回、「本質」と名詞の関係について私なりに指摘しましたが、この章で以下のような記述を見つけて嬉しくなりました。

《以下引用》
…一般者としての「本質」はコトバ、すなわち物の名、ときわめて親密に結び付いている。この点に関しては、人が「本質」の実在性を肯定するにしても否定するにしても、事態は根本的には変わらない。ただ、否定の場合は、コトバが原則として「本質」喚起的に働くのに反して、肯定の場合は、「本質」指示的に働くとされるだけの違いである。例えば「花」という名は、本当は実在しない花の「本質」を妄想的に喚起する。虚空に喚起されたこの仮構の「本質」を、否定論者(例えば仏教思想家)は、外的実在に根拠をもたないものとしてただちに払い棄てる。反対に肯定論者(例えばニヤーヤ・ヴァイシェーシカ派)にとっては、「花」という語は実在する花の実在する「本質」を指示するのである。
《引用終わり》

これから「本質」肯定論を3つの型に分類して見ていきます。

第一の型は、普遍的「本質」(マーヒーヤ)は、物の表層しか見えない日常的意識ではなく、非日常的な意識、深層意識によって把握されるというもの。宋学の「格物窮理」が典型的。

第二の型は、前者同様に深層的事態に関わるが、その体験的に生起する場所はシャマニズムや或る種の神秘主義を特徴づける根源的イマージュの世界であるというもの。イブン・アラビーの「有無中道の実在」、スフラワルディーの「光の天使」、易の六十四卦、密教のマンダラ、ユダヤ教神秘主義カッバーラーの「セフィーロート」など。

第三の型は、第一の型が深層意識的体験によって捉える普遍的「本質」を、意識の表層で理知的に認知するところに成立する。古代中国の儒学、古代インドのニヤーヤ・ヴァイシェーシカ派特有の存在範疇論など。

これまで私が勉強してきた大乗仏教は「本質」否定論の代表格のようですので、それとは逆の理論を見ていくことになります。楽しみです。

《最初から読む》
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