トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2011年03月

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「空海の夢」(春秋社)
「あとがき」を読みました。

《以下引用》
現在の日本に必要なものは技術基盤でも宗教基盤でも外交基盤でもない。むしろ海外の先駆的実例に迷わされることなく、われわれは現在の日本の矛盾をもっと深く受けとめることである。われわれはまだ、明治あるいは戦後にはじまった日本現代の矛盾を充分に見つめてはいない。もし、その矛盾が今日にいたって飢餓に出ているのなら飢餓の背景におよび、もしその矛盾が失業にあらわれているのなら失業の背景におよぶべくなのだ。けれども、われわれの国の矛盾はいまのところ飢餓や失業ではなく、経済主義や精神文化や、表現力において矛盾を吹き出させた。それならそれで、そのことを徹底してうけとめるべきなのである。

ひるがえって、空海の時代においてもわれわれの国は矛盾だらけだった。国内政治はもとより、対外外交にも法身はなく、まして精神文化の背骨ともいうべき仏教は南都において六宗が六宗とも喘いでいた。日本語という言葉すら、日本人にふさわしい住宅様式すら、できあがっていなかった。そのような実情の中、どのように青年空海が出奔しようとしたか、私が描きたかったのはそのことだった。

唐に行って密教を持ち帰ったというだけなら、空海の仕事はたいしたものではない。高野山を開創したというだけなら、それは空海でなくとも多くの僧が日本全国で苦労したことだ。空海は漢語から「来るべき日本語」を想定し、華厳国家から「来るべき密厳国家」を構想し、さらには文字の書き方を入木道(書道)として、声の出し方を読経として、市場のあり方を東寺や西寺として、多様にプランしようとしたのである。

そのことを議論するには、当時の言葉だけにたよって空海がどのように実情を打開しようとしたかを説明しても、それはたんなる歴史の解説におわる。そこで私は、むしろ現在の視点から、現在において思索される言葉を駆使することで、当時の空海の計画がどのように今日にリンクしうるかを説明してみた。それが本書である。
《引用終わり》

再びこの本の帯に戻ると、『〈日本〉をプログラムした神秘の密教者、空海。』というフレーズがあります。

今回の東日本大震災でも、日本人のモラルの高さを海外のメディアは高く評価しています。幕末の日本に滞在していた外国人も同じでした。それがどこからくるのか?が、私が抱き続けているテーマです。

それがこの本の中に見つかったような気がしています。空海の国家観の件です。

当時においても現代においても、国が治まるとは、その民の一人一人が自分の心を治めているか、に帰着するのではないかということです。これは、ホロン的であり、華厳的発想とも言えますが。

民の心が治まっていれば、江戸幕府にような小さな政府でも、少なくとも国内的には治まるのです。

食と兵と信という三者択一の問は論語の中に出てきます。海外メディアが取り上げる日本人のエピソードは、兵も食も無い状況で信を見つけた話と言い換えてもいいかと思います。

しかし、我々が信を持っているとしても、それは礼(外部的規範)に起因するものでないことは明らかです。それは悲という言葉が一番近いような気がするのです。

そこに空海を感じるのです。彼のプログラミングが、まだ、この国で機能しているような気がするのです。

《最初から読む》
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標準料金(鍼灸なし・33分触察)の目安
1人:2000円
2人:1900円
3人以上:1800円

詳細は以下のとおりです。

触察料:
標準(33分)で 1733円
※100円(2分)単位で増減できます

出張費:
・1人の場合:312円
・2人の場合:213円
・3人以上:114円

追加項目:
・鍼灸は1体位あたり99円の他、鍼20円(1本)、灸20円(1壮)

端数処理:
・百円未満は切り捨てとします

※今回反映します消費者物価指数(生鮮食品を除く)99.0は1月のものです。

・3月の価格
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くもんのすいせん図書(Bの16番)「チロヌップのきつね」を読みました。

小林教室周辺の教室が共同で図書を購入して、巡回図書館のようにしています(通称「おにぎり文庫」)。今月の一冊でした。

一見すると、北国のきつねの親子の話。確かにそれだけでも悲しい話。でも、それだけじゃないんですよね。

さりげなく、ちらりちらりと見え隠れする「戦争」の影。きつねたちに酷いことをするのは兵隊さんたちだし、優しいおじいさんとおばあさんが戻って来れなかったのも戦争のせい。

人間社会とは無関係なはずの野生のきつねを描いているのに、戦争の暗い影を強く匂わせている。戦争がもたらす大きな悲しみを、きつねを題材にして描いている。

実に巧みな本です。
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ケータイのナビを使って気づいたのですが、「今」ということが変に大事になってきているような気がします。

目的地を入力すると、「現在地」から「今」出発して何時に目的地に着くかを調べるのが一番楽になっている。

電車の時刻を調べる場合にも、「今」出発するとすると何時何分の電車に乗って…という情報がすぐ出てきます。

これまでは、地図とか時刻表を使って、出発する何時間も前に、あるいは何日も前に調べるのが普通でした。今々出発する時になって、そんな方法で調べていたら間に合わなかったからです。

ところが、すぐに答えが出るツールが普及してしまったために、今々になるまで調べるのを待った方が、出発日時を何月何日何時何分と入力する手間が省け、しかも今現在の遅延情報まで折り込まれた情報が入手できるから楽なのです。

これは、計画性のない行動パターンを助長しているような気がします。先々のことを予め準備することが少なくなっていくような気がします。

でも、それが今風の新しい行動パターンなんだと思い始めていました。これからはこれでいいんだと思い始めていました。

でも、これはまさに天災のような非常事態を全く考慮しない生き方。

原発と共に、見直さなければいけないことだと思います。
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男の兄弟は喧嘩も荒っぽいことでしょう。弟をいじめるお兄ちゃんをお母さんが叱ります。

Don't fight!
「けんかしちゃだめよ!」

Be nice to him.
「彼に優しくしなさい」

うちの娘たちも喧嘩が絶えません。娘たちの耳にタコができるくらい使えそうな表現です。それで、この表現を覚えてくれたらしめたもの!

【グラス片手に大人の公文】英語〔G2-016〕
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G1-092でちょっと書いておいた「Here you go.」がG2教材で出てきました。

Here you are.「さあ、どうぞ」と似た意味ですが、相手に物を渡して動作を始めてもらうニュアンスが含まれるということでした。

G2教材のスキットは、家族で食事をしている場面です。

Pass me the salad, please.
「サラダをとってくれるかしら」

と言われて、渡す時に

Here you go.

です。これなら毎日使えそうです。

【グラス片手に大人の公文】英語〔G2-011〕
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「唯識入門」(春秋社)
「第六章.唯識の修行論」の「一.修行の階梯」の「ブッダの知恵と身体」を読みました。

識が智に転依するということでしたが、転識得智は八識が転じて四智を得るということで、『仏地経』という経典や、『仏地経論』や『成唯識論』に書かれています。

・アーラヤ識→大円鏡識(円鏡のごとく清浄な智、無分別智)

アーラヤ識がそうであったように、大円鏡智も全ての智の根源として平等性智以下を生みだします。したがって、全体的には、アーラヤ識なる所依が大円鏡智という所依に変貌することが転依と言えます。

その仏は真如、即ちもののありのままのすがた――空性・縁起――と一体となった如来であり、法を身体としているという意味で法身と呼ばれます。

あるいは仏の仏たるゆえんのものとしてのさとりそのものという意味で、自性身と呼ばれます。

・マナス(末那識)→平等性智(自我意識をすて自他平等とみる智)

自他平等の知恵としてはたらき、生死と涅槃の平等を知って、大悲を起こします。

平等性智以下は、仏の法身・自性身がおのずから具えている知恵で、さとりの後で得られる(後得)清浄な世間智ということになります。

・第六意識→妙観察智(ありのままに事物の相を洞察する智)

自他・主客を分別する形をとってはたらきますが、もののありのままの姿をも知っています。

平等性智と妙観察智は、仏の受用身、あるいは報身と呼ばれる身体に伴う知恵。浄土にあって菩薩たちのために説法したりします。

・前五識→成所作智(衆生済度のために種々の仏業を現ずる智)

眼・耳・鼻・舌・身を通じて五種の認識を行う点ではアーラヤ識に基ずく五識と同じですが、その性質は五識の転換したものとしてひたすら衆生の救済のためにはたらきます。

仏がわれわれ凡夫の前に現れた時、すなわち仏の変化身(化身)に伴っている知恵のはたらきです。

この仏の持つ四種の知恵と同じものを、菩薩は転依によって獲得し、その力で、生死輪廻の世界にとどまり、仏と同じ衆生済度の事業に邁進します。

《つづく》
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〈起始〉:脛骨の外側面の近位端,腓骨の前縁,下腿骨間膜,下腿筋膜
〈・〉:前脛骨筋と隣接(★豊隆),前脛骨筋長母趾伸筋と隣接(★解谿),短母趾伸筋と隣接(★衝陽)
〈停止〉:第2〜5趾の指背腱膜

〈作用〉:足関節●背屈・足部●背屈▲外がえし・第2〜第5趾●伸展
〈神経支配〉:深腓骨神経〔L4〜S1〕
〈筋連結〉:前脛骨筋長腓骨筋長母趾伸筋第三腓骨筋短腓骨筋

〈触察〉:
・停止腱:足関節前面を走行する腱のうち、内側方から3番目に位置する腱。足関節を自動的に背屈させると容易に視察。また、ここから第2〜5趾に向かう腱も見える。足関節では内側から前脛骨筋長母趾伸筋長腓骨筋第三腓骨筋の順で上・下伸筋支帯におさまる。
・内側縁:上記の停止腱の内側縁を脛骨の外側顆まで頭方に辿る。下腿部中央部付近では、脛骨前縁と腓骨外側縁の中央部に位置する。近位端付近ではそれより後外側方。
・筋腹:上記の内側縁と腓骨の間に存在する。下腿部の中央部付近では、本筋の後方から浅腓骨神経が皮下に現れる。



〈関連痛領域〉
・足の第2、第3、第4趾の背側全面

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
参考文献3「トリガーポイントと筋筋膜療法マニュアル」
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「空海の夢」(春秋社)
「結.母なる空海・父なる宗教」を読みました。

一神教と仏教との対比がおもしろかったので、その部分だけまとめておきます。

《以下要約》
砂漠の民の場合、議論の末の決定は唯一者でなくてはならず、その唯一者の決定はたとえそれがまちがっていても従わなければならない。これが、一神教を生む発端です。

一方、鬱蒼としたアジアの森林では歩きすぎることは迷うことであり、右か左かの判断も単一的なものではない。こういうところでは、むしろいったん止まって熟慮するほうがよい。議論もある程度は多いほうがいい。知識は分散されたほうがよく、一点集中はリスクが高い。

こうした事情によって、砂漠の民とは対照的に議論と経験を分散させ、討議のしくみこそが教理となった。問答の様式こそが結論を生む様式となった。

ギリシア的な「線をもつロゴス」ではなくてインド的な「幅をもつダルマ」が重視されていく背景ができあがっていった。

これは反面、迷いを生むことになる。しかし、迷いは必ずしもネガティブなものではない。初期ヒンドゥ=ブディズムの哲人たちは「われわれは迷うものである」という目覚めによって、ポジティブに転換することをこそ思索した。
《要約終わり》

最後の文章が素敵なのでメモっておきます。

《以下引用》
現在性とは宗教や宗教者を過去の成果にしまいこまないことから始まっていく。われわれの一人一人において宗教的現在性は立ち上がっていくものなのだ。なかでも仏教はふんだんのヴァラエティに富んだものである。「たくさんの私」によって動向するものだ。もし今日の仏教が単一のものに見えるなら、それは仏教ではない。もし今日の仏教が過去と未来をつなげようとしていないなら、それは仏教ではないのである。
《引用終わり》

そういう意味で、今日、仏教は存在しているのか…わかりませんが、有無に関わらず、自分から進めていくのがまた仏教なのでしょう。

《つづく》
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