トトガノート

All about TOTOGA

2010年06月

はりきゅうの仕事で、あるお客様を訪問していた時です。家具の大安売りのチラシを見て、余りに安かったので、「二つ(次女の分も)買っちゃおうかな…」と言ったところから議論が始まりました。

お客様いわく:
「小学校入学は人生の中で重要なポイントだということを子どもに教え込むことが大切だ。だから、小学校に入らない妹にも一緒に机を買ってあげるなんてことは断じてしてはならないのだ!自分は小学校に入るのだ、今までとは違うのだ、という自覚と感動が子供の成長を促すのだ。」

おっしゃる意味は分かるんですが、正直「???」でした。

小学校の教諭を定年退職された方で、現役時代は熱血先生で有名だった方です。今回、初孫が産まれたばかりなので、教育について改めて思うことがあるのでしょう。しかし、息子さんはともかく、嫁さんも同じ考えを持っているとは思えませんでした。嫁姑戦争が勃発する前に、私と衝突しといたほうがいいんじゃないかと思い…反論することにしました。

私:
「おっしゃることが間違いとは言いませんが、絶対にそうしなければいけないというのはどうでしょうか?そうでない考え方もあると思います。入学という儀式を過大に演出すると、子供にとってはストレスになったりはしないでしょうか。学校に行くのが怖くなったりしないでしょうか?

例えば公文は、幼稚園児も小学生も中学生も、同じ机に向かって勉強しています。進学は、同じ教室のお兄ちゃんお姉ちゃんが通ってる学校に行くことだと思っています。全くの未知の世界に行くという感覚はありません。それは良いことではないですか?」

お客様:
「だから、感動が少ないのだ。小学校に入るということで感動する。そこで読み書きを覚えるということで感動する。計算ができるようになるということで感動する。それがとても大事なのだ。公文をやっていれば、小学校でそういう感動を味わうことはできなくなる。優越感には浸れるかもしれないが。」

小学校に入るまで読み書きや計算はできない方がいい、とも取れる主張で、ますます「???」だったので、敢えて突っ込むのはやめました。

入学する感動、読み書きや計算ができるようになったという感動は、各自がその都度、それぞれのタイミングで味わってもいいのではないでしょうか?少なくとも、全員一緒に味わなければいけないということはないのではないでしょうか?

良し悪しは別にして、最近の傾向は、人生の道程にも段差を余り設けたがらないような気がします。ただ、スムーズに進んでいける代わりに、逆境には弱くなるというデメリットは当然あると思いますけど。

…というところを取りあえず落とし所としたのですが、気づいたら50分も経っていました。施術よりも長かった仲人さんだから、まあいっか。
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★くもん・公文・KUMON★ に参加中!
公文式の英語の教材Aについてです。

“See you!”のような日常的あいさつとか、“Want some?”(いかが?)に対して“Yes.”“No.”“Sure.”“No,thanks.”“Please.”というやり取りを学習します。

母と子の会話の中で、今の時期に一番使いそうな言葉です。おやつを勧める時とか、使えそうです。

アルファベットの読みも学習します。洋服や靴など、こどもの持ち物には英単語がたくさん書いてあります。娘が、アルファベットを指さしながら、一文字一文字読んでいました。

単語として認識したり、意味を理解したりはできなくとも、一文字一文字読むくらいなら、こういった持ち物も教材として十分役に立ちます。

《B教材に進む》
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司馬遼太郎を読む に参加中!
「空海の風景」(中公文庫)
「下巻の二十四」を読みました。

最澄という人は、飽くまでも日本国内の人という感じがします。唐に渡っても、長安に立ち寄りもせず、必要な書物の収集に専念しました。密教の伝法にしても、おそらく空海が恵果から二カ月足らずで受け継いだ点だけに着目し、自分もそれで済むと思っている。

《以下引用》
最澄は、天台という顕教をすてて真言という密教に転身する気はなかった。ただかれは国家が正規に採用したかれの天台宗において、採用試験の部門に国家の要請で(おそらく)「遮那業」という密教科を入れたため、責任上、自分自身がそれを学ばねばならぬとしているだけのことなのである。できれば資格だけほしかった。
《引用終わり》

書物だけで習得するのが、日本では当たり前だったのかもしれません。でも、中国でもインドでも、それは通用しませんでした。

空海はグローバルな人でした。漢語もこなし、サンスクリット語さえも理解する。密教にしても何十年と独習している。その卓越した能力があればこそ、伝法も二カ月で済んだのです。恵果千人の門人で伝法灌頂を受けたのは6人だけということですから、その他の人は何年修行しようがだめだったのです。

能力主義だったと言えるかと思います。それを思えば、「あと何カ月で伝法してもらえますか?」という最澄の質問は非常識です。私なら「それはあなたしだいでしょう!」と答えますが、空海は「三年」と答えました。これは親切と言うべきか不親切と言うべきか。

根本的に視点が違うので、二人の亀裂は深まるばかりです。

《つづく》


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子育てってこんなに楽しい! に参加中!
先月の28日、役員の懇親会を開きました。昨年に次いで二回目の今回は、各学年ごとの参加者数がほぼ同じ(昨年は年長さんの保護者さんが圧倒的に多かった)で、お父さんの参加者も増えました。良い傾向だと思います

さて、私のスピーチですが…

ひがしね幼稚園の保護者会は、昨年から参加型(役員だけがやっていた仕事を役員以外でも希望者にはお願いする)に移行している。また、今年から役員選出の際に立候補者も募るようにした。これらの変更によって、1.多忙のため一年間役員を勤めることができない人でも時期を選んで役員の活動を行うことができる、2.これは役員の負担軽減につながる、3.やる気のある人が役員になることができるようになる、等のメリットがある。画期的な変更である。これをうまく機能させるためには、役員たちが仲良く楽しそうにして、参加希望者を増やすことが肝要である。故に、今日の懇親会は非常に重要である。

という要旨でした。役員と主任以上の先生の会だから、こういう話をしてもいいかな…と思ったのでした。というか、自分としてはかなり自信のある内容でした。

ところが噛み砕き方が悪かったのか、噛み砕き過ぎて長ったらしくなってしまったのが悪かったのか、皆さんの顔がしだいに歪んでいくのが分かりました。

さらに、私には社会的な野心(?)が無い事を示したかったので、「私たちは、お互いに知らない者同士の投票で選ばれた人間たちであり、微妙な立場である。特に会長の私はなおさら微妙である。」という表現を使ったのですが、あるお父さんから「私は立候補しました。だから『選ばれた』と言われるのは悲しい。」と言われてしまいました

進行役の妻が「微妙なお話をありがとうございました。でも、今日はざっくばらんな集まりですので、そういう堅苦しい話は抜きで、よろしくお願いします。」とバッサリ斬って笑いを取ってくれたので、夫婦漫才としてはうまくいったかもしれませんが…

立候補したというお父さんにはお詫びを言って握手をしたのですが、場所がトイレだったので、ちょっと不安です。とにかく、このお父さんの気持ちにも負けないように頑張らなければいけません。

自分の自己紹介の時に、何回か笑いを取れたのが、せめてもの救いです。

《つづく》
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悟りへの道 に参加中!
「釈尊の生涯」(春秋社)
「10.成道後の坐禅思惟」の前半を読みました。

縁起説は「此あれば彼あり、此生ずるがゆえに彼生ず、此なければ彼なし、此滅するがゆえに彼滅す。」という基本命題で表される。

精神的なものも物質的なものも、全ては生滅変化するものである。何もない所に突如として生じたり、存在するものが全くの虚無になったりすることはない。すべては、因(直接原因)と多くの縁(間接原因・条件)との関係によって変化しているだけである。生とは他のものが形を変えて姿を現すことであり、滅とはそのものの姿がなくなって他のものへと形を変えることである。

「此生ずるがゆえに彼生ず、此滅するがゆえに彼滅す。」「諸行無常」は時間的因果関係を示す。

「此あれば彼あり、此なければ彼なし。」「諸法無我」は論理的相関関係を示す。

釈尊は、この縁起の道理が複雑難解であるため、世人に説くことを断念しかけた。

《つづく》


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〈起始〉:尺骨の前面の近位2/3の領域,前腕骨間膜
〈・〉:浅指屈筋腱の腱裂孔
〈停止〉:停止:示指〜小指の末節骨の底

〈作用〉:
手関節▲掌屈
MP▲屈曲,PIP▲屈曲,DIP●屈曲

〈神経支配〉:正中神経,尺骨神経〔(C7)〜C8〜T1〕
〈筋連結〉:尺側手根屈筋上腕二頭筋長母指外転筋長母指屈筋長母指伸筋

※手根管は、正中神経,長母指屈筋腱,浅指屈筋腱,深指屈筋腱,橈側手根屈筋腱が通過する。

〈触察〉:
浅指屈筋の深層で、尺骨と前腕骨間膜を覆う幅を持つ。
・前腕部の前尺側方約1/2の領域の深層に存在する筋腹を、尺骨または前腕骨間膜に向かって圧迫して触察する。
・尺骨と尺側手根屈筋の間からは、皮下に触知できる。

〈関連痛領域〉
・該当なし。

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
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悟りへの道 に参加中!
私が子どもの頃は珍しかった学習塾。今は当たり前のように、多くの子どもが通っています。

何のために塾に行くのだろう?当然、勉強ができるようになるため…

どうして、勉強ができなきゃいけないんだろう?いい大学に入って、いい仕事に就くため…

もちろん、そこで終わりではないんでしょうけど、取りあえず、そこで論理が一時停止するような気がします。

お金を儲けて幸せになる、というのが大抵の人の取りあえずの目標ではないでしょうか。そこから先はそうなってから考えて遅くはない。学習塾に収めた多額の月謝も、高収入の仕事に就いてペイすればいい。

かつての、たとえば幕末の松下村塾のような「塾」は全然性格が違います。先立つもの、つまりお金よりも、別のものを優先させていました。「夢」とか「志」とか。「生き方」というものに真っ向から取り組んでいます。

釈尊時代のインドには四時期という考え方があって、人生の中で「生き方」について考える時期をもうけるのが当たり前とされていたようです。

今はお金を「先立つもの」と呼んで全てに優先させ、人生問題を後回しにし、タブーとするような雰囲気さえある。だから、生きることが辛いのではないでしょうか?

やはり、学力向上だけを目標としたとき、学習塾経営は虚しいものに感じるのです。「別に東大に入らなくても生きていけるし…」と言われると、そっちの方が正しいような気がしてくるのです。

だから、かつての「塾」としての側面をそれとなく加味できないかな…と秘かに思っています。それが、塾として熟していくことかな…と。
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