トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2010年02月

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「空海の風景」(中公文庫)
「上巻の十二」を読みました。

長安に向かって、大変な旅路でした。悪路をスプリングの無い馬車を飛ばして進みます。しかも、「星ニ発シ、星ニ宿ス」ということなので、ほとんど休憩の無い強行軍。衛生上の問題もあって、赤痢に罹る人もいたようです。そんな中でも、空海は超人ぶりを発揮します。

一行が長安の入り口にたどり着いたのが12月21日。そこで、最澄が乗った第二船の人々は11月15日に長安入りしたことを知る。

《以下引用》…
空海は、最澄の消息について知りたかった。
かれは趙忠のそばに寄り、長安の官話で話しかけた、かと思われる。趙忠はこの僧がうつくしい音で喋ることにおどろき、汝ハ我国ニ曾テ遊ビシヤ、ときいたであろう。空海はワレハジメテ入ル、と答えたにちがいない。…
「その僧は、長安には入らなかった。かれは一行とともに明州に上陸したが、疲労はなはだしく、しばらく医者の手当をうけて休養した。そのあと一行は長安にむかったが、最澄とその随行の僧のみは明州で別れ、そこから天台山にむかった」
と、答えた。
なるほど最澄のめざすところは長安ではない。目的が天台の教学と経典の招来であったために、天台山に直行するのが当然であった。天台山は台州にある。明州から台州へは十日ほどで行ける。となれば最澄はすでにその教学の伝授をうける作業に入っているはずであった。空海はそれをきいてあせりを感じたかどうか。
あるいは、長安の華美を見ようともせず明州から台州へ直行した最澄の生真面目さに内心おどろいたかもしれない。
《引用終わり》

最澄は辺地の密教を少しばかり習ってきたということでしたが、こういう経緯だったようです。

《つづく》
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「仏教入門」(東京大学出版会版)
「十章 仏教の歴史」の前半を読みました。

ブッダの入滅以後約100年間は教団組織の統一は保たれたが、拡張に伴い、意見の対立が生じ、細分化が起こった。これ以前を原始仏教、以後を部派仏教と言う。

各教団のインド各地での発展は、紀元前3世紀前後のマウリヤ王朝のインド統一と三代目アショーカ王による保護の影響もある。

クシャーナ王朝のカニシカ王(128年即位)はアショーカに劣らぬ熱心な仏教信者で、北インドを領土としガンダーラに都したが、説一切有部を保護した。

部派仏教は教義の確立という点では大きな功績を残したが、その主体は出家の修行者たちで、国王の保護のもとに安定した生活を送り、学問や修行に専念できたところから生まれた。しかし教義の煩雑化に対し、信者からの反発や出家者内部での反省が起こり、新しい宗教運動が起こった。

彼らは自らの手でその思想を表明する道具として新しい経典を編纂した。その道を万人の救済を目指す広い乗り物と言う意味で「大乗」と名づけ、在来の部派仏教を限られた出家者だけの道と言う意味で「小乗」と貶称した。

紀元前一世紀以降、『般若経』『法華経』『華厳経』等の大乗経典の中で、しだいに発展していった。教理上の特色は、「空」思想がその基本にあり、また仏の絶対視(法身)と、仏のはたらきとしての「般若」と「方便」(慈悲行)の強調とを挙げることができる。信仰の仏教としての大乗の典型的な姿は『阿弥陀経』などの浄土教に見られる。

紀元後2世紀に南インドに生まれたナーガールジュナ(龍樹)と、5世紀ころにグプタ王朝治下で活躍したヴァスバンドゥ(世親)の二人によって教理が確立され、組織化された。

ヴァスバンドゥの系統は大乗仏教の主流として栄えたが、この瑜伽行派の唯識説は心の分析を主としながら、有部の影響を強く受けてアビダルマ的傾向を持ち、煩瑣な教学に変っていった。

これに対抗して、6世紀にはナーガールジュナの思想を直接受ける中観派が台頭し、両者の間で華々しい論争が生まれるようになる。

大乗仏教の思想の流れは、このほか法華一乗の教えを発展させた『勝鬘経』『涅槃経』に見られる「如来蔵」や「仏性」の教えがあり、その組織化された論書として『宝性論』や『大乗起信論』がつくられたが、学派の系統としては主に瑜伽行派の人々の手に属していた。

大乗仏教の二学派(中観・瑜伽行)が学問仏教と化していくのと併行して、密教が台頭して、インド仏教の主流を占めるようになる。

《つづく》
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IT革命に付随した波がいろんな業種に方向転換を迫っています。人々のライフスタイルも変わってしまいましたから、今までの商売のやり方が通用しなくなっている…。

ひと月ほど前の「クローズアップ現代」では、新聞業界の苦悩が取り上げられていました。新聞が無くなってしまうのではないか?という業界の不安に対して、ゲストの立花隆さんは、絶対に無くならないと断じました。「必要なものだから」というのが理由でしたが、未来を見据えた前向きな意見というよりは、新聞で育ったジャーナリストとしての過去を懐かしんだ祈りのように感じました。

新聞が全く無くなってしまうとは私も思いませんし、それを望みもしませんが、今のような形は維持できないだろうと思います。

数年前まではネットでニュースを見るというスタイルにはどうしても馴染めなかったし、ましてやどこのだれが書いたか分からないブログから情報を得るなんてことは考えてもみませんでした。でも、最近は違っている…。

紙の新聞の購読は止めて、ネットで流れるニュースだけでも何とかやっていけるんじゃないか?と最近考え始めています。一般人が書くブログのほうが、速くて説得力のある情報だったりすることもある…。

立花さんに言わせれば、新聞の情報は信頼性が高いし、結局ネットに流れている情報もおおもとを辿れば新聞のようなマスメディアでしょう?ということでした。だから新聞は無くならないという論法なんですが、新聞をおおもととする情報がネットに流れているんだとしたら、新聞の情報をアップするサイトさえ読めば新聞は読まなくてもいいということも言えます。

だから、新聞はある程度の部数は売れるでしょうから、全く無くなるということはないかもしれないけれど、今までのように売れるということもないでしょう。要は、新聞社の採算ラインを超えるだけの売り上げを確保できるかどうか…。

採算ラインを超えられないとなれば、いわゆる新聞という形態は成り立たなくなるわけで、新聞の絶滅もありえない話ではない。

そうなれば、新聞の記事を書いていたようなジャーナリストが有料のサイトやメールで情報発信するような形が多くなってくるかもしれません。

「○○新聞」という看板の下に囲われていたジャーナリストたちが、そういう看板無しで勝負することになるとしたら、それはむしろ良いことなんじゃないかな?というのが、今回言いたかったことです。

現状では、新聞社の意向で掲載されない記事もあるでしょう。「○○新聞」という形で束ねるためには、どうしてもある種の情報操作は避けられないと思うのです。そのふるいのお陰で高い信頼性も保たれるのでしょうが、弊害として必ず情報には偏りが生じるはずです。これは検閲と本質的には同じです。

いくつかの新聞社や放送局があって、それぞれが違った特色を出しているからいいじゃないか、という反論は有るでしょう。が、そういう点では、新聞社や放送局の数が十分多いとは思えないし、それぞれが自由な主張をしているようにも見えません。

ひとつの大事件が起こると、どこのチャンネルでもそればかり扱ってるというのが普通ですから…。

それぞれの新聞社が180度違う意見を発信するというケースも少ない。もっともっと無ければおかしいです。

社会を行き来する情報のすべてを集めたとき、その中にあらゆる方向の論説が含まれていなければ、健全な情報群とは言えないと思います。(敢えて言えば、「空」の状態ではない)

邪な情報が行き来することもありましょうが、発信者の邪な部分をそのまま伝えるのも情報の務め…尤も、正邪の判断は主観的なものであり、基本的には受け手の判断に委ねられます。邪と判断して途中で遮断(フィルタリング)してしまうのは検閲…尤も、ウイルス駆除も広い意味では検閲の一種ですから、検閲の是非もまた主観的なもの…。

質の低い情報に翻弄されることは増えるでしょうが、そうしなければ情報を見極める力は養われないし、それが情報化社会で洗練されるということでしょう。

社会のこの大きな流れは、いつかは平衡点を見つけて、落ち着くこともあるかもしれません。でも、その社会が、今までのマスメディア中心の情報化社会と比べて良いと言えるかどうか、もっと遡って、かわら版から情報を得ていた社会と比べて良いと言えるかどうか、それぞれ長所短所があって優劣はつけられないそんな程度のものなんじゃないかとは思います。

それでも、この流れは止められない…。

IT革命と言っても、結局はテクノロジー(「T」の部分)の革命だったわけですが、その革命がITの本丸たるインフォメイションそのもの(「I」の部分)まで、いよいよ波及してきたということなのかもしれません。
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〈起始〉:上腕骨の外側上顆
〈停止〉:尺骨の肘頭の橈側面
〈作用〉:肘関節▲伸展▲回内。肘関節包を外側方に引く。
〈神経支配〉:橈骨神経〔C7〜C8〕
〈筋連結〉:尺側手根伸筋

〈触察〉:
・上腕骨外側上顆と尺骨橈側面近位1/4とに挟まれた領域に存在する硬い筋腹を触察する。筋腹は肘頭(尺骨)のすぐ橈側方にも視察できる。

〈関連痛領域〉
・上腕骨外側顆周辺領域。

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
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十無記…ブッダが回答しなかったこと。

いずれも科学的には証明できない、将来的にもできそうもない事柄です。それらにコメントしなかったということは、仏陀は科学的センスをも備えていたと言えます。

儒教も「怪力乱神を語らず」と言い、孔子も分からないことは分からないとはっきり言う人だったようです。

西洋文明が科学的センスを身につけたのがカントの辺りだったとすると、随分時間の隔たりを感じます。一様に比較はできないでしょうけれども…。

科学が当たり前になった今日、私たちはこういった問題の答えを宗教に求めがちですが、少なくとも仏教では取り扱っていないのです。

逆に言うと、こういった問題を専ら取り扱っているような宗教とか団体とかお店とかは、怪しいと考えるべきです。

さて、日常の些細なことでも、証明できないことってあります。散らかしっぱなしにしたのは誰か、みんなが使うものをどこかに置きっぱなしにしたのは誰か、相手を傷つけるような言葉を最初に使ったのはどっちだったか…

こんなことをするのはいつもアナタだ!という先入観も手伝って、防犯カメラや録音も無いとなれば、この機会にいつもの不満をぶちまけてやろう!と思うことがあります。

こっちは証明できないから付け込んでいるわけですが、相手からも付け込まれかねない弱点でもあります。だから、ついつい、語勢で押し切ろうとする…。

向きになってしまう。

無記とすべきことほど、言いたい放題だから、つい向きになって強く言ってしまいがち。これも無明スパイラルの一端のような気がします。

向きにならずに、無記でいきましょう!
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公文式の算数の教材4Aについてです。50までの数字が書けることを目指します。数表を読むだけなら100まで。

点線をなぞるような形で、数字の書きの練習をします。0〜9まで書けるようになったら、数表の穴埋め。

磁石すうじ盤は1〜50を3分以内、時間制限なしで1〜100まで置く、という目標が設定されています。

次女は、トイレに入るたびカレンダーを指さして、「ミウちゃん、3かけるよ。見て見て!」と言って、「シュー、シュー」と空中に得意気に描いて見せたものです。

用を足し終えて…
「あっ!ウンコは『1』だ!」

《3A教材に進む》
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「空海の風景」(中公文庫)
「『空海の風景』を旅する」の「第五章 渡海」を読みました。

日本から唐までは航路にしておよそ700キロ。最短で10日、漂流した空海たちは34日かかったそうです。

季節風も潮流も逆という、出帆には最も不適な時期をなぜか選び、舵取りは占いまかせだというのに、34日しかかからなかったんですね。逆の意味でスゴイ!

遣唐使船の全長は25メートル、幅7メートルと推定されているそうです。そこに120人〜150人が乗り込んでいたらしい。その状態で、34日間です…

803年3月に最澄が乗った遣唐使船が一度出航していますが、暴風に遭い引き返しています。空海は、翌年再出発するという話を聞いて急遽渡海を思いたち、慌てて準備をしたようです。803年の暴風が無ければ、真言密教も無かったのでしょうか…神風ならぬ仏風?

漂着した先で囚われの身となった空海は、大使の釈明文が全然効果が無いので、大使に代わって筆を執ります。その文章は「性霊集」に収められているそうですが、中国人が読んでも素晴らしいと感じるらしい。

《以下引用》…
「恐ろしいまでのレベルの高さです。当時、空海は三十一歳の青年で、しかも日本人でした。そのような人がこれを書いたとはとても信じられません。でも事実なのです。おそらく空海は子供のころから日本の中でも飛びぬけた中国文化の中で生活してきたのではないでしょうか。私は国語の教師でしたが、こんな文章が書ける中国の青年にお目にかかったことは、ついにありませんでしたよ(笑)」
《引用終わり》

この漂着の地が、聖地として観光地化しているそうです。

《つづく》
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「仏教入門」(東京大学出版会版)
「九章 戒律と教団の組織」を読みました。

教団のことをサンガ(僧伽)と言います。もともとは集団という意味で、同業者の組合とか共和制体の国家にも使われるとのこと。同一の目的をもって集まった人々のつくる共同体で、成員は相互に平等であり、同一の規律に服し、加盟は自由意志、集団の意思決定は成員の合議制による…そういう集団を言うそうです。沙門の組合ということですね。

生まれで所属が厳格に決まってしまうカーストとの対比の意味が含まれているのでしょう。共和制体の国をサンガというのも世襲の王がいないからでしょう。仏教には、そういう民主的な雰囲気が当初からあったということかもしれません。

《以下引用》
…受戒10年以上をへて弟子をとることをゆるされたものを「和尚」といい、また教団中にあって学業の指南役となるものを「阿闍梨」とよぶ。また、教団内で能力に応じて役割が分化するようになると「法師」「禅師」「律師」などの名称も生まれた。禅師は「瑜伽師」と同じで、禅定修行にもっぱらなる人びとである。これに対し、法師は説法師で、民衆教化を主な仕事とする。
《引用終わり》

禅師とは禅宗のお坊さんのことだとばかり思ってました。

教団の戒律があって、殺生・偸盗・婬・大妄語をしでかした場合に最も重い罪となり、教団から追放されたそうです。

でも、大乗仏教ではこういうことは無いんでしょうね…人殺しも盗人も変態も嘘つきも、みんな救いますから。

《最初から読む》
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2月7日の日本経済新聞、サイエンスの欄で、金(ゴールド)に関する記事を読みました。化学反応が起きにくい安定した金属ですが、ナノメートル(nm:ナノは10億分の1)単位の超微粒子になると、かなりラジカルなものに豹変するという話。

色も変わるというのが面白かった。直径50〜100nmで紫、20nmで濃い赤色、10nm以下では黄に近づくそうです。

例えば20nmで、なぜ赤く見えるかと言えば、金属の周りを巡る電子が振動し緑の光が吸収され、緑と「補色」の関係にある赤が強調されて見えるから…

この色の見え方の説明が良かった。初めて出くわしたわけではありませんが、今回はとっても示唆的に響いたのです。

赤い物が赤く見えるのはなぜか?緑の光を吸収するから。ここまでが科学の話。ここから先が「念中仏仏」です。

全く偏りのない光が、皆に平等に、降り注いでいる。しかし、緑に執着するモノは緑の光を放さない。故に、そのモノが発する(反射する)光には緑が欠落している。そのモノは偏った存在として見えることになる。つまり、赤いモノとして見えることになる。

全く偏りがない光とは、いわゆる白い光です。光の三原色(Red,Green,Blue)がバランス良く配合された色。全てを含む色。言うなれば「」の色です(「そら」と読まないでね)。

光の緑成分を蔽うと考えれば、客塵煩悩のようでもあります。執着を無くせば、偏りは無くなり、「空」の境地に近づく…これが、第一の教訓です。

赤いモノ、赤に偏っているモノとは、赤の成分が突出していると捉えるのが普通の見方です。だから、赤いモノを更生させるには、赤い成分を抑えてやろう、削ってやろう、妨げてやろう、と発想するのが普通です。

赤いモノを矯正するには、教育するには、救済するには、赤い成分を抑えることだ…。でも、これは、緑に執着していたモノに、さらに赤に対する執着をも植えつけることにはならないでしょうか?

煩悩を減らそうとして、実は煩悩を加えている

赤いモノには、赤を削るのではなくて、緑を補ってあげなければいけない。緑を補い、緑への渇望を癒し、執着を無くしてあげなければいけない。

これが第二の教訓。まあ、教育やカウンセリングの現場で応用するには、全く参考にならない、具体性の無い話ではありますが、例え話としては面白いんじゃないでしょうか。
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〈起始〉:上腕骨の内側上顆,内側上腕筋間中隔,尺骨の鈎状突起
〈・〉:橈側手根屈筋の下(★少海
〈停止〉:橈骨の前面と橈側面(回内筋粗面)

〈作用〉:肘関節●回内▲屈曲
〈神経支配〉:正中神経〔C6〜C7〕

〈筋連結〉:浅指屈筋橈側手根屈筋上腕二頭筋

〈触察〉:
・前腕部前面浅層の4筋:前腕前面の近位1/4の部位で、上腕骨内側上顆から前腕部前面浅層を尾方に走行する筋腹が4つ有る。橈側から円回内筋,橈側手根屈筋長掌筋,(浅指屈筋),尺側手根屈筋

〈関連痛領域〉
・前腕掌側の外側縁、特に手首と母指の付け根にかけて。

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
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