トトガノート

All about TOTOGA

2009年08月

ブログネタ
哲学 に参加中!
「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナ以後」の「2比較思想からみたナーガールジュナ」を読みました。

最初に結論を引用します。
《以下引用》…
西洋においては否定神学や神秘主義は何といっても付随的なものであり傍流にすぎなかったが、東アジア・南アジアにおいては、少なくとも教義的には主流となっていた。空観のような思想は、西洋ではひろく根を下すことができなかったが、東洋では大乗仏教を通じて一般化した(浄土真宗の教学といえども、空の理論を基礎としている。少なくとも教義の上では表面的には基本思想とみなされていたのである)。ここに、東と西では重点の置き方が異なっていたといいうるであろう。
…《引用終わり》


西洋では空観のような議論としてはどんなものがあったか、ということですが、アリストテレスの実体の観念に対するラッセルの実体批判は興味深いです。

《以下引用》…
『実体』という観念は、真面目に考えれば、さまざまな難点から自由ではあり得ない概念である。実体とは、諸性質の主語となるもので、そのすべての性質から区別される何物かである、と考えられている。しかし諸性質をとり去ってみて、実体そのものを想像しようと試みると、われわれはそこに何も残っていないことを見出すのである。この問題を別な方法で表現すれば、ある実体を他の実体から区別するものは何であるか、ということになる。それは、性質の相異ではないという。なぜなら実体の論理によれば、諸性質の相異ということは、当の諸実体の間に数的多岐性を前提としていることになるからだ。したがって二つの実体は、それ自身どのようにも区別し得ることなしに、ただ単に二つでなければならないという。それではどのようにしてわれわれは、それらのものが二つであることを見出し得るのであろうか?実際には『実体』とは、さまざまな出来事を束にして集める便宜的方法に過ぎない。…
(例えば)『フランス』というような語が単なる言語的便宜であり、その地域のさまざまな部分を超越して『フランス』と呼ばれるような事物は存在しない…それは、多数の出来事に対する一つの集合的な名称なのである。…一言にしていえば、『実体』という概念は形而上学的な誤謬であり、主語と述語とから成る文章の構造を、世界の構造にまで移行させたことにその原因があるのだ(『西洋哲学史』市井三郎訳、上巻、205ページ)
…《引用終わり》


否定的捉え方について

《以下引用》…
インドで『リグ・ヴェーダ』以来、ことにウパニシャッドにおいて絶対者は否定的にのみ把捉されると説いていた。これはとくに般若経典が繰り返し説くところであるが、とくにナーガールジュナはこの点を『中論』で明言していう。
「心の境地が滅したときには、言語の対象もなくなる。真理は不生不滅であり、実にニルヴァーナのごとくである」(第十八章・第七詩)
古代西洋の哲学者たちは実体を何らかの意味で承認していたけれども、究極の実体は概念作用をもって把捉することができないという見解は、非常に古く、おそらくナーガールジュナからあまり遠く隔たらない時代に現われている。
…《引用終わり》


例えば、ディオニシウス・アレオパギタの場合。

《以下引用》…
万有の原因は霊魂でもなく、知性でもなく、また説いたり考えたりすることのできないものなのである。絶対者は、数もなく、順序もなく、大いさもない。その中には、微小性、平等、不平等、相似、不相似は存在しない(――まさに般若経典の文句である――)。それはいかなる叙述をも超えている。ディオニシウスはこれらの限定をすべて否定する。それは、真理がそれらを欠いているからではなくて、それらをすべて超えているからである。
…《引用終わり》


ナーガールジュナは<空>という原理さえもまた否定しています。否定そのものの否定(「空亦復空(くうやくぶくう)」)です。
《以下引用》…
この観念を継承して、中国の天台宗は、三重の真理(三諦)が融和するものであるという原理をその基本的教義として述べた。この原理によると、
(1)一切の事物は有論的な実在性をもっていない、すなわち空である(空諦)。
(2)それらは一時的な仮の存在にほかならないたんなる現象である(仮諦)。
(3)それらが非実在であってしかも一時的なものとして存在しているという事実は中道としての真理である(中諦)。
存在するいかなる事物もこの三つの視点から観察されねばならない、と説く。
…《引用終わり》


否定ばかりでは何事も始まらないではないか!と思われるわけですが、そうではなくて…
《以下引用》…
<空>はすべてを抱擁する。それに対立するものがない。その<空>が排斥したり対立するものは何もないのである。実質についていえば、「空」の真の特質は、「何もないこと」であると同時に、存在の充実である。それはあらゆる現象を成立せしめる基底である。それは生きている空である。あらゆる形がその中から出てくる。空を体得する人は、生命と力にみたされ一切の生きとし生けるものに対する慈悲をいだくことになる。慈悲とは、<空>――あらゆるものを抱擁すること――の、実践面における同義語である。大乗仏教によると、あらゆるものが成立する根本的な基礎は<空>である。だから「空を知る」ということは<一切智>(全智)とよばれる。
…《引用終わり》


空は実践は基礎づけるもの…
《以下引用》…
『金剛経』では「まさに住するところなくして、しかもその心を生ずべし」という。菩薩は無量無数無辺の衆生を済度するが、しかし自分が衆生を済度するのだ、と思ったならば、それは真実の菩薩ではない。かれにとっては、救う者も空であり、救われる衆生も空であり、救われて到達する境地も空である。この思想は中国の道教にも承継されている。「汝は汝の能力で他人を救うことを自慢してはならない」(道士、第百四十五則)
…これに類する思想は西洋ではパウロによって説かれている。すなわち、内面的に世界から自由であることを外面的に表示する必要はない、ということをパウロは次のように記している。
「妻のある者はないもののように、泣く者は泣かないもののように、喜ぶ者は喜ばないもののように、買う者は持たないもののように、世と交渉のある者はそれに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである」(「コリント人への第一の手紙」7・29-30)
…《引用終わり》


気に入った箇所が多くて、引用ばかりになってしまいました。本当に得るものの多い本でした。空っぽだった頭に<空>が少しだけ入りました。これから何度も読み返すことになるでしょう…

《最初から読む》
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国旗と国歌 に参加中!
終戦記念日ということですが、「日の丸」とか「君が代」に関して疑問に思うことがあります。その人の思想・信条の違いで、こういう疑問の持ち方も二分すると思うのですが、私の疑問は国旗・国歌に反対する人たちに対する疑問です。

公立学校の教師が「君が代」の伴奏を拒否した、という話をよく聞きます。一番分かりやすいのはこれ。これはいけないことだと思います。

「日の丸」や「君が代」が国旗・国歌であることに反対意見を持つのは自由だと思います。問題は、「どう行動するか?」です。

まず、「日の丸」や「君が代」が制定された手続きに問題があるというのであれば、「正当な手続きをしましょう!」と運動すべきです。

「日の丸」や「君が代」以外のものがいいというのであれば、新しいものを作詞作曲したり、図柄をデザインしたりして、それを全国民に提案すれば良い。国民の大多数が賛成すれば、変更はできるはずです。それが民主国家というもののはず。

民主的な運動で変更ができる代わりに、変更されるまでは現行の決まりに従わなければいけない。それが法治国家というもののはず。

だから、教師がこういう態度をとるのは良くありません。上司の命令を聞かないのは教員以前に×。命令違反を生徒の前で行うわけですから、生徒にも悪い影響があるので×。

「私はあなたを先生とは認めない」とか「私は校則を認めないので守らない」とか、生徒が言い出したら、こういう教師はどんなふうに指導するのでしょうか?「先生が校長先生の言うことを聞かないのと同じでしょう?」と言われたら、どう弁解するのでしょうか?

私ならば、たとえ「日の丸」や「君が代」に反対だったとしても、国旗・国歌として扱い敬意を表します。ただ、自分が反対であるという考えは周囲に話します。自分と同じ考えの人が見つかれば、一緒に社会運動を起こすということも有り得ます。

生徒には、こう語るでしょう。

「先生は「日の丸」や「君が代」に反対の意見を持ち、国旗・国歌を変更する運動にも参加しています。でも、現時点では「日の丸」や「君が代」が国旗であり国歌なのだから、日本国民としてこれに敬意を表します。」

だから君たちも…

「例えば校則が気に入らないからと言って守らないなんていう乱暴な態度は取らないで、校則のどこがどうしていけないのかを学校側に説明して変更を求めるようにしなければいけない。変更が認められるまではそれが校則なのだから、どんなに嫌でも守らなければいけない。」

そうしなければ、刑法が気に入らない!民法が気に入らない!憲法が気に入らない!改正なんか待ってられない!法律なんか守らない!という主張がまかり通ります。だから、「君が代」の伴奏を拒否するような教師は懲戒免職さえも仕方がないと思います。

幸い、私は教員でもなく、「日の丸」や「君が代」に特に不満もありません。それよりも何よりもピアノが弾けません。
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悟りへの道 に参加中!
「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「華厳経如来性起品」の「一 序章」「二 如来出現の法門―総序」を読みました。この経典は原名「如来の生起・出現の説示」という元来独立の一経です。

世尊と一緒に多くの菩薩たちがいる時、如来性起妙徳(如来の家系に生まれた幸ある人の意)菩薩の頭頂に不思議な光が入った。ついで別の光が普賢(あまねく知れわたった自在なる王の意)菩薩の口に入った。

そして、如来性起妙徳菩薩が、普賢菩薩に対して、如来に関して次のことを説明して下さるようにお願いします。
1.出現の説明
2.身による顕現
3.音声による表現
4.心の威力
5.対象の状態
6.活動領域の説明
7.正しいさとりのありさま
8.転法輪(つまり説法)の完成
9.偉大なる死(般涅槃)の示現
10.如来たちを見、(その教えを聞き、)如来と出会い(供養し)、(それによって)善根を生ずることについて

以下、普賢菩薩による説明が繰り広げられます。如来性起妙徳菩薩は文殊師利と考えられます。「ふげん」と「もんじゅ」が揃いました…

《つづく》
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〈起始〉:第6〜第12肋軟骨の内面,胸腰筋膜,腸骨の腸骨稜の内唇,鼡径靭帯の外側部
〈停止〉:腹直筋

〈作用〉:呼吸▲強制呼息。第6〜12肋骨を引き下げる。
〈神経支配〉:肋間神経〔T7〜L1〕
〈筋連結〉:横隔膜,内腹斜筋腹直筋

〈触察〉:
・第5,11,12肋骨:鎖骨の内側部のすぐ尾方に隣接する肋骨が第1肋骨。第5肋骨はそれより4つ尾方。側腹部の後部に指を押し込み、最も尾方の肋骨が第12肋骨。
・補助線1:肋骨弓から第11,12肋骨の尖端に続く線。
・補助線2:恥骨結節から鼡径靭帯,腸骨稜に続く線。
・前部と外側部の筋腹:外腹斜筋内腹斜筋,腹横筋の筋腹は、腹直筋の外側縁より外側方で、補助線1と2に挟まれる領域のほとんど全てに存在する。胸椎や腰椎に向かって圧迫して触察する。

〈関連痛領域〉
・前肋骨弓に沿って、前肋骨弓の間

参考文献1「骨格筋の形と触察法」
参考文献2「クリニカルマッサージ」
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平均:2007円
最安値:1600円
最高値:3000円

・6月の実績
・7月の価格
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爆笑問題 に参加中!
NHK「爆笑問題のニッポンの教養#81」(7月28日放送分)を見ました。ゲーム理論&経済学の松島斉先生でした。今回は議論というより、爆笑問題の将来について人生相談しているような場面がありました。

実を言うと、私、ゲームというのは大嫌いです。何でそんなものにお金使って、頭使って、体使って、時間費やして、頑張んなきゃいけないの?どうせお遊びでしょ?それだったら、現実の人生で悩んだり疲れたりした方がいいじゃない?という考えです。子供のころから。

でも、ゲーム理論はそういうことではなさそうです。簡単な例としてよく出てくるのが囚人のジレンマで、これはシンプルなだけにゲーム盤上の空論ぽく見えるのですが、松島先生は実際の経済を相手にしています。もっとも、現状を打開する方策を提示できないうちは、空論に終わる可能性も孕んでますけど。

「爆笑問題に危機が起きた時に、いつも解散を口にするのは田中さんの方で、太田さんは決して口にしない」ということに対して、「太田さんは、解散というような強い脅しを使う必要がないからじゃないですか?」というような分析をされていて、「数学」だけではない「ゲーム理論」の一端を見たような気がしました。

でも、私の分析はちと違います。相手をより必要としているのは太田さんの方です。「解散」と言われると太田さんが困ることを田中さんは見抜いている。田中さんのツッコミの重要性については以前太田さんが言及しています。田中さんは、ビートきよしさんとは違う存在だと思います。

今回はオンデマンドで視聴しました。

《つづく》
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テレビできになる事 に参加中!
ちょいテレというUSBワンセグチューナーを使い始めて一年になります。地デジも見てみたいけど本気で買い物する気になれず、最小限の投資で見れるものを選びました。

画質もそれほど悪くもないし、パソコンに録画してもファイルサイズが小さいので邪魔にならないし、まあまあ良かったと思っています。文字放送が字幕で見れるのも良かったです。

難点を言えば、留守録をセットしていても、待機中にOSのアップデートを読み込んでいたりするとそっちが優先されてしまって、録画に失敗してしまいます。

microSDカードにムーブしてケータイでも見れますよ!ということになっていたんですが、これはなかなかうまく行かなくて諦めてしまいました。

「本気で買い物する気になれ」ないのは、先日も書きましたが、テレビはすぐにもう一段階進化するんじゃないか?ということ。2年後には当然アナログしか見れないテレビは骨董品になるでしょうが、今現在最新式と言われているテレビも陳腐化するんじゃないだろうか?それを覚悟で買うのなら全然問題ないけれど、無理して買い急ぐのは後悔のもとじゃないかと…

話はかわりまして、今月からNHKオンデマンドの「見逃し見放題パック」を利用しています。NHKオンデマンドには二重徴収じゃないか!という批判もあって、私も抵抗があったのですが、使ってみるとなかなか便利です。キャリアが別(地上波ではなくてインターネット)なので、地デジ化は無関係。

留守録する必要が無いので手間が省けます。録画する機械も要りません(ダビング10がこじれてから録画機の購入もする気にならないのでちょうどいいです)。それでいて録画したのと同じように、自分の都合に合わせて番組の最初から見ることができ、ポーズにしてトイレに行くこともできます。

予め録画しておく必要はなく、「これでも見てみるか」という感じで見るときに番組を選べるのもなかなかいいです。どんな番組か分からないものを録画しておくということはしませんでしたから、今まで見なかった番組を見ることもあり、新たな発見もあります。

そんなわけで、オンデマンドの番組がどんどん増えて欲しいと思っています。NHK以外にもいろいろありますが、現段階では視聴者が少なく、採算がとれている所は皆無と聞いています。スポンサーが付いた無料放送もありますので、是非、まだの方はお試しください。
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哲学 に参加中!
「龍樹」(講談社学術文庫版)
「?ナーガールジュナの著作」の「4十住毘婆沙論」と「5親友への手紙」、「?ナーガールジュナ以後」の「1ナーガールジュナの思想の流れ」を読みました。

「十住毘婆沙論」は華厳経十地品(十地経)にナーガールジュナが註釈を書いたものです。第九章「易行品」は浄土思想について述べられています。その中の阿弥陀信仰をたたえた部分だけ訳出されています。

「5親友への手紙」は南インドのサータヴァーハナ王朝の国王(二世紀ころのガウタミープトラ王という説もある)にあてた手紙です。

ナーガールジュナの弟子としてはアーリヤデーヴァ(提婆(だいば)、170-270年頃)が挙げられる。『百論』『四百論』などの著作は他学派を批判したもの。唯識派の思想ともつながる。

その後継者としては、ラーフラバドラ(羅序H羅(らごら)、200-300年頃)。この人をナーガールジュナの師であるとする説もある。この系統は一時沈滞する。

中観派は5世紀頃に再び活発となる。ブッダパーリタ(仏護(ぶつご)、470-540年頃)が『中論』に註釈を加え、プラーサンギカ派が始まる。どのような主張であれ必ず誤謬(プラサンガ)に帰着するとし、徹底的な誤謬の指摘を通じて、存在の空であることを相手に悟らせる。この派自体の主張は持たない。ナーガールジュナもそんな感じでしたね。

プラーサンギカ派には、チャンドラキールティ(月称(げつしょう)、600-650年)がいます。『中論』の註釈『プラサンナパダー』を著しました。

中国では、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什(くまらじゅう))の翻訳によるナーガールジュナの『中論』『十二門論』と、アーリヤデーヴァの『百論』に基づいた三論宗という宗派が成立しました。この派の大成者が嘉祥大師吉蔵(かじょうだいしきちぞう:549-623年)です。安息(パルチア)出身の人で、『華厳経』と『法華経』の思想をふまえつつ、中国思想の地盤の上にユニークな思想を展開しましたが、唐の中葉ころには衰えました。

日本には、吉蔵の弟子でもあった慧灌(えかん:高句麗出身)が625(推古33)年に来日して、三論宗を伝えました。が、平安の末期には密教と融合して衰えました。

三論宗に『大智度論』を加えて四論宗というものもある中国で成立しました。後に三論宗に融合しましたが。

天台宗の教理も、『中論』や『大智度論』などをもとにしています(空・仮・中の三諦円融、一心三観)。

また、上述の『十住毘婆沙論』の浄土思想の部分は、後世の浄土教の支えとなりました。

密教も『華厳経』の影響を受けてはいますが、ナーガールジュナの思想の延長線上に位置づけることもできます。

《つづく》
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ヘアケア に参加中!
以前、ヘンナのカラーリングシャンプーについて書いたことがあります。シャンプーするたびに軽く毛染めをするイメージなので、毛染めに対する軽いアレルギー反応が恒常的に起きている感じで、使うのを止めたのでした。

そのとき、日記を読んで下さった方から薦められたのが銀塩の毛染め剤。銀塩写真と同じ原理で発色する薬剤が配合されているもので、塗ってから光を浴びるごとに色が出てくるという代物。アレルギー体質の人でも安心して使えますよ〜ということだったので、試してみました。

添付のクシに薄く塗って(歯ブラシに歯みがきを塗る感じ)、あとは普通に髪をとかします。髪に薄く毛染め剤が塗られます。そして、明るい所にいくと少しずつ発色します。少しづつですが、毎日続けることで少しずつ色も付いてくる感じ。アレルギー反応も無かったように思います。

ただ、結論から言うと、半年ほど使って止めてしまいました。私の場合の難点は3つ。軽い方から挙げていきますと…

まず、もともと整髪料をなるべく塗らない人だったので、常に髪にクリームが付いてる感じが嫌でした。

2つめの理由は匂いです。光と反応して発色しているな、というのが分かるのですが、何と匂いで気づくのです。銀塩ということですが、銀と硫黄の化合物のようで、光が当たると硫黄の匂いが微かにします。いわゆるゆで卵のような匂いなので、「誰かやったな?」と思っていたら自分の頭だった、ということがありました。

そして、3つめ。最大の理由は値段です。品質保持のため半年で使い切るように書いてあります。ですから、半年で約5000円かかるということになります。一方、ドラッグストアで売られている普通の毛染め剤。安いものだと500円くらい。私の場合、これで2回染められます(つまり2カ月持ちます)。そうすると、半年で1500円くらい。

普通の毛染め剤は、染めた時に軽いアレルギー反応があって少し痒くなるのですが、せいぜい3日間くらいです。そんなわけで、銀塩おじさんは卒業しました。

でも、アレルギーがひどい方、そして軽く染まればそれでいいという方は、この銀塩毛染めはお薦めだと思います。
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悟りへの道 に参加中!
「如来蔵系経典」(中公文庫版)
「勝鬘経」の「四 一諦章」「五 如来蔵章」「六 終章」を読みました。

《以下引用》…苦の滅とは、存在するものの消滅という意味ではありません。(苦が、そしてその原因たる煩悩が、本来、非存在であるということです。)…はじめも知られない昔から存在し、つくられたものでも、生まれたものでもなく、滅尽することもなく、…常住・堅固(・寂静・永続的)で、本性として清浄であり、あらゆる煩悩の蔽いから脱却しており、…知恵と不離なる、不可思議なほとけの諸徳性をそなえた如来の法身が、「苦の滅」という名によって示されているのだからです。…このまさに同じ法身が、まだ煩悩の蔽いから脱却していない状態にあるとき、それが如来蔵と呼ばれるのです。
…《引用終わり》


如来蔵に関する知とは、如来の空性の知です。如来蔵が空性を示すと知ること(如来蔵空智)は2種類の内容があります。
1.如来蔵には、(もともと法身と無関係で、さとりの知恵から切り離された、あらゆる)煩悩の蔽いが欠如している(つまり空である)。
2.(煩悩は虚妄で非存在であるが、)如来蔵は(法身と密着・不可分で)、(さとりの知恵と切り離しえない)ほとけの諸徳性を本来そなえている(つまり不空である)。

また、如来蔵は生死輪廻のよりどころです。生と死をあらわす輪廻とは如来蔵の別名です。死とは諸感官の機能停止、生とは新しい感官の発生です。ところが如来蔵には、生も死も滅も起もありません。如来蔵は有為の存在の領域を超えて、常住・堅固・寂静・永続的であります。

この本性として清浄な心が、煩悩によって汚されている。このことを信じましょう。…というのが結論のようです。

ちょっと気になるのは、この記述。
《以下引用》…
この三種の(如来の)家のよき男子や女子たち以外の衆生なるものは、もろもろの深遠な教えに対し、自分勝手な見解をいだいて、それを最上とみなし、あまつさえ、まちがった観念をもって執着しつつ、教え、説明します。…私は、彼らは真実の教えに背反するもの、異教徒、腐った種子の持ち主であるから、たとえ君側にあっても、調伏すべきである、と申し上げたい。
…《引用終わり》


異教徒は如来蔵ではないの?という疑問が湧きます。「やっていい戦争」があるというふうにも読めます。

「勝鬘経」は聖徳太子も好んで読んでいましたから、和を尊んだ彼も戦地に赴くときは、この辺りの記述を思い起こして力を得たのではないかと思われます。

「シュリーマーラー夫人が獅子吼した説示」という副題が付けられています。とっても怖い奥さんをイメージしてしまう(恐妻家だから?)のですが、こういう仏に関する大演説を「獅子吼」と表現するようです。四誓偈にも出てきます。

なぜ女性に言わせたのか?やはり、口では(口だけじゃない?)女にかなわないのが古今共通ということでしょうか…。

《つづく》
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