トトガノート

「鍼灸治療室.トガシ」と「公文式小林教室」と「その他もろもろ」の情報を載せています。

2008年05月

ブログネタ
NHK に参加中!
「爆笑問題のニッポンの教養」を見ました。ゴリラの研究室の(5月13・20日放送分)です。

前篇で気になったのが、母系集団を作るサル(ニホンザルだったかな…)と父系集団を作るサル(ゴリラ)がいるということ。前者は母娘が非常に仲がいいけれども、後者は非常にあっさりしているとのこと。

日本人は元々、母系だったようです。大化の改新あたりからゴリラ形式に移行したんじゃないでしょうか。それでも、現代は母系が強くなってきたように思います。母娘の仲がいい。「親なび姫(カーナビのように親をナビゲートして二人で行動する娘)」と「あいのリッチ(娘の情報に相乗りしてリッチな気分を味わう母)」が増えているとか。

後編では、文明の発展の歴史のところ。停滞期と爆発的に発展する期間とが交互に訪れているということです。太田さんが、人間もゴリラもいいと思う「構え」があって、国にもそういう「構え」があるはずだと言っていました。ひとつひとつ理屈を積み上げて国を作っていこうとしているけれどもそれでは駄目で、皆がいいと思う「構え」を最初に決めてそこに向って皆が走っていく形がいいのだろう、と。

おそらく停滞期というのはその「構え」を模索する時期で、「構え」が決まれば全てが物凄いスピードでガラリと変わっていくんだろうと思います。それが発展期。何で今までこうしなかったんだろうと皆が不思議に思うくらい全てがうまい具合に進んでいくし、細かいことは相談しなくても皆どうすればいいか不思議とわかる…日常的なことでも経験したことはあるんじゃないでしょうか?国のレベルでも、そういう時期が早くやってくればいいと皆が願っているところでしょうけど。

来るべき時代を見極めることができず、身構えることさえできず、体勢が崩れっぱなしの現代。停滞が解けるのはいつのことやら…

《つづく》
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ダイエットはやっぱり に参加中!
ズボンを買いました。ウエストと股下で選んで、すぐにはけるのをいつも買います。先日のドックで腹囲が86cmでした。1cmオーバーです。今まで「痩せてやるぞ」という気持ちを忘れないためにウエスト82cmのを買っていました。だからきつくてボタンができなかったのです。今回は85cmを買いました。ボタンができます。

82cmにこだわったのにはわけがあります。礼服のウエストが82cmなのです。しかし、礼服を新しく買いたくない。メタボの基準値よりも厳しい基準を自分に課したい!という厳格な自分と、おいしいものは食べたい&運動はしたくないという弱い自分。この自分の中での2つの気持ちが、ズボンのボタンを阻んできました。

今回85cmを選んだのは、もちろんみっともないからです。こんな私の葛藤を、周囲の人が察してくれるはずもないから。

医学会では、メタボを腹囲で評価することには激しい反論もあります。医学的厳密性を期せば×でしょうが、一般の人間には分かりやすく実用的な基準だと思います。食べ過ぎたり、太ってきたりすれば、ベルトが食い込んできます。孫悟空の頭の輪っか(金剛圏:密教っぽい素敵な名前ですね)のように!

金剛圏の3cm緩和で、もう後がないという背水の陣を敷くことになりました。82cmの礼服で、たらふく御馳走が食える日を何とか秋までに迎えたいと思っております。
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脳の仕組み に参加中!
疲れはどこで感じるのか?実はこれが分かっていないのだそうです。かつては乳酸が疲労物質と呼ばれ、この血中濃度を脳が検知して疲労を感じるというのが定説でしたが、今は否定されているとのこと。筋肉の「疲れたよう」という叫びがそのまま疲れとして感じ取られるわけではないらしい。これもプログラム処理なんじゃないかと言われているみたいです。

そこで思い出したのがノートパソコンなどに使われているリチウムイオン電池です。もちろんパワフルな電池なのですが、「電池の残量がなくなってきました」とか「充電が完了しました」とか分かるところがなおさら素晴らしい。これはスマートバッテリーというそうですが、電池パックに内蔵されている8ビットマイコンがバッテリーの特性データを基に計算して表示しているのだそうです。人間の疲れもこんなメカニズムだ!なんてこと無いですかね?

手や足に、動け!動け!と言いつけているのは脳です。同じ動作を繰り返していると、手が上がらなくなったり足が痛くなったりします。これは筋肉が疲労を直接訴えているとしても、それ以外の「疲れた!」という感覚は脳が勝手に演算処理して表示しているものもあるんじゃないかと思うのです。

つまり、疲れたと思っていても本当に筋肉が疲労しているとは限らない。逆に、疲れていないと思ってもかなり疲労がたまっているということがあるのかもしれない。年をとってくると、体をそれほど酷使した感覚がないのに意外と疲れていて、急に体が動かなくなるということがあるようなのです。

認知症のお年寄りは不思議と満腹中枢の方だけ壊れやすいようです。私の祖母もそうでしたが、いくら食べても「まだ食べていない」とか「ご飯を食べさせてくれない」とか言います。そう言えばケータイの電池も、古くなるといくら充電してもすぐ無くなりますね…

機械と人間て似てますねぇ。

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●ブッダ倶楽部(☆ハロー ブッダ ステーション)● に参加中!
「飾り立ててありもしないことを口にするな」という解説が付いていました。山形の人間には余り関係ないかな…。ダニエル・カールさんが数年前から盛んに言ってくださっています。「山形の人は宣伝が下手だ。」と。「山形のおいしいものは?」「山形のいいところは?」と質問しても大抵の人が答えます。「何も無いべ〜」(これは村山地方の言葉)。彼のおかげか、最近は少し違ってきたような気がしますけど。

この戒めが大切だと思うのは、商売をするときですね。ネットワークビジネス(マルチまがい)の人は素人がゲリラ的に商売をするから余計ひどいです。健康食品ならば、何にでも即効性があるようなことを言います。私はこういう商売なので、お客さんに売ってください!と勧められることは多いのです。

皆、健康番組を見て勉強していますから「いまどきこんなセールストークを信じる人いないよ。やめときな。」と思いながらも、一生懸命まくし立てるものだから聞かざるを得ない。可愛そうになって断れなくなる人がいるんだろうな〜でも俺はそんなお人好しじゃないからな〜鍼灸師にこんなお粗末な説明するなんて随分見くびられたもんだぜ〜さて、何ていじめてやろうかな〜なんて思いながら。

同窓会に出たときもそうでした。会が終わって一週間くらいした頃、電話がかかってきました。「この前は名刺もらっただけでゆっくり話せなかったから、会って話したい」と言われました。もちろん男です。会ってみたら案の定、ネットワークビジネスでした。

その人は県内でも有数の企業に勤めており、その会社の名刺を出してから、「実はこういうのもやってるんだ」とネットワークの名刺を出したのです。私はひととおり説明を聞いた後、「商品に自信があるのならドラッグストアに頼んだり、インターネットでダイレクト販売するはずで、ネットワークビジネスの形態を選ぶのは商品に自信がないからだと思う。」と言いました。「その商品の有効成分は私が今飲んでいるファンケルのサプリメントにも含まれていて、ファンケルなら10分の1の値段だ。」とも言って断りました。

その後も彼は執拗に電話をかけてきたので、「君が勤めているような立派な会社なら就業規則で副業は禁止していると思う。君が今みたいなやり方でサイドビジネスを続けるなら、僕が言わなくても誰かが君の会社に密告すると思う。懲戒免職になってもこのビジネスにかける覚悟ができたら、もう一度電話して欲しい。」と言いました。それ以来、電話は来ません。お詫びのメールは来ましたけど。もう、同窓会にも行かないです。

山形の人はネットワークビジネスを極端に嫌うように感じます。それは、こんなふうな嫌な思いを引きずっているからじゃないかとも思います。こういう友人を持てば、こんな商売の仕方は本当に恥ずかしいものだということを知ることができます。そういう意味でも持つべきものは友???

《つづく》
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脳の仕組み に参加中!
一般の方は意外だと思うのですが、針を刺して骨に当たった感触があるとき、ホッとします。針を深く刺す場合には、骨を目標にすることが多いのです。「骨に当たったら痛いんでしょう?」とたいてい聞かれますが、針が骨に当たって痛いということはありません(単に当たっただけでは、という意味です)。

私たちの体には痛みを感じるセンサー(痛点)がありまして、痛点や神経に当たらない限り普通は痛くありません。ルパン三世で赤外線の防犯装置が付いているところに忍び込むシーンがあります。赤外線が見えるメガネをかけて、体をよじって赤外線を避けながら先に進んでいきます。針の感触を嫌うお客さんに針をする場合は、そんな気分です。神経に触らないようにソーッと刺していきます。

さて、刺激が神経に伝わって電気信号となって脳に伝わるわけですが、「痛い!」と感じるまでには更にワンクッションあるようです。いろんな神経が絡み合って、この痛みの刺激を強めたり弱めたりしているようなのです。これは、コンピュータが演算処理するようなイメージだと思います。つまりソフト処理されているんです。

こんなことを考えたのは線維筋痛症という病気を「本当は怖い家庭の医学(4月15日放送分)」で見たからです。この病気はからだのあちこちにものすごい激痛を感じますが、痛いところを調べても何も異常が見つからない。

原因もはっきりわかってはいないのですが、怪我による激しい痛みや手術などがきっかけでソフトが壊れたのではないか?という解釈が有力なようです。銀行のオンライン・システムで流行っているプログラム・ミスのようなものではないかと。(これは私流の乱暴な例えなので、異論は多々あろうかと思いますが)

物の見え方というのも、上下左右逆に網膜には映っているそうですね。それを戻しているのは脳の中の画像処理プログラムによるものです。それよりも何よりも、神経ってデジタルの電気信号なんですよね。それをプログラム処理したものが、意識というモニターに表示される。

「機械はデジタル、でも人間はアナログだから…」なんて言葉をよく耳にするんですが、本当にそうかな?アナログの情報をデジタル化して内部処理しているという点で、機械と人間は似ているんじゃないかな。

…と思ってしまうのは、元デジタル技術者の偏見でしょうか?

《つづく》
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車関係何でも に参加中!
運転の慣習にローカル色があるという新聞記事を見つけました。

まず、直進より右折優先。右折待ちの車がいるとその後ろが渋滞してしまうことがあり、対向車の運転手が優しい人だと譲ってあげることがあります。これを最初からあてにして直進車の目の前を強引に右折する運転です。「伊予の早曲がり(愛媛県松山市)」「松本ルール(長野県松本市)」「山梨ルール(山梨県)」と呼ばれ、名物になっているそうです。

車線変更のとき、ウィンカーを出さずに強引に入る。更に右折左折のときもウィンカーを出さないのが、「福井走り(福井県)」。車線変更でウィンカーを出しても入れてくれない,信号が黄色になると加速して交差点に入るというのが「名古屋走り(名古屋市内)」。

大阪では、信号が赤から青に変わる直前に見切り発進。いずれも危険運転ですが、こういう車は東北でもよく見かけますし、自分もそういう運転をすることは無いことも無いです。

とっても危険だと思ったのはパッシング。関東(東北もそうですが)では、道を譲るときにパッシングしますが、関西では「自分が先に行きます」という合図として使われることがあるそうです。せっかちな人同士だと間違いなく衝突しますね。

ガソリン節約のため、そんなに遠くにドライブする予定はないですし、ゆっくり加速を心がけているので、私の場合は大丈夫かなとは思っているのですが、頭に入れといたほうがいいですね。
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パパの子育て日記 に参加中!
船場吉兆さん、やってくれました。日本料理ですから、「もったいないの心」を込めれば料理のリサイクルにつながるのかもしれません(笑)。

「もったいないの心」が世界的にも取り上げられて注目されたりしていたこともあったようですが、私はあまりこの言葉は好きではありません。私の場合、この心が一番発揮されるのは食べ残しが発生したとき。もったいないと思って食べてしまえば、即メタボにつながります。病気になって治療を受けることになれば、こちらのほうがよほどもったいないことになります。

レストランやホテルでの残飯を飼料や肥料としてリサイクルするというビジネスが一時脚光を浴びましたが、今も活躍しているのでしょうか?継続可能なビジネスモデルだったのかどうか。

子供というのは気まぐれなもので、多く頼めば残すし少なく頼めば足りないという。残したくもないし、テイクアウトも頼みたくないし…ということでマイお腹にテイクアウトすることになります。最近は、子供たちの食欲を見越した料理の頼み方をだいぶ心得てきましたけどね。
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憂国 に参加中!
パンダの件は結局どうなったのかよく分からんのですが…徳川家康(山岡荘八原作)の中の鯉の話を思い出しました。私が記憶しているままを書きますと…

***
織田信長と家康が同盟を結んだ頃に、信長から家康のもとに鯉が贈られました。「これを私だと思って大切にしてね」というメッセージ付で。家康はある家臣に鯉の世話を命じて、「大切に育てるんだぞ!」と言いつけました。

若い家康には、石川数正という立派な家臣がおりました。数正は、鯉の世話役と一緒にこの鯉を食べてしまいました。激怒した家康が数正を呼びつけます。「鯉を食べたというのは本当か?」「はい、脂がのっておいしかったです。」

ますます怒って、家康は刀を抜きます。数正は語ります。

殿(家康)は信長を恐れて臆病になっています。信長はこれから何かあるごとに「鯉は元気か?」と使いをよこして、こちらに探りを入れる腹なのでしょう。信長のこの魂胆が憎たらしい。

生き物である鯉は病気もすればいつかは死ぬでしょう。そのときには世話役の家臣を殿(家康)は叱りつけるでしょう。それでは家臣がかわいそうです。どうせ叱られるなら食べて叱られよう、と私がそそのかしたのです。死んでしまったら鯉は食べられないし。

しかしながら、大切に育てろという命令に逆らったことは事実です。どうか、この首を刎ねてください。その後で考えていただきたい。例え織田信長からもらったものとは言え、鯉は鯉。鯉と家臣と、どっちが大切なのか。信長の前で、その値踏みもできなくなるようでは困りますよ。さあ、数正をお斬りください。


もちろん家康は刀をしまい、「命令は取り消す。以後、鯉は鯉として扱え。」と言い、数正を放免します。
***

今回のパンダ事件では、石原都知事が数正というところでしょうかね。パンダなんて、両目にクマができただけのクマです。どこの国から借りようが、単なるクマ。

旭山動物園のように創意工夫で成果を上げているところがあります。加茂水族館(山形県鶴岡市)はクラゲで有名になりました。とても主役になりそうもないクラゲで頑張り続けた職員の努力は素晴らしいと思います。上野動物園もパンダから卒業してもいいんじゃないかと…



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「嘘をつくな!」ということですね。「ふもうご」を変換したら、「不毛後」となりました。「不毛後に嘘つくな!」となると「カツラはやめろ!」という状況を連想してしまいました(笑)。

小泉純一郎元首相が「音楽遍歴」という本を出しました。キャッチコピーは「真実のうそは感動的だ」。意味不明ですが、???と思わせて買わせる魂胆ですね。

嘘は何でもかんでもダメ!というほど、仏教は浅薄幼稚な教えではないと思います。「嘘も方便」の方便は元は仏教用語であり、人を助けるための手立てのひとつと解説されますが、要はその人のためについた嘘ですから。

賛否は分かれますが、癌の告知をしないことはその人のためを思ってつく嘘のひとつですね。私の知人でも、奥さんに告知しないで最期まで看護を続けた方がいらっしゃいます。「癌だとは告げなかったけれども、分かっていたようです。ある時から病気のことをピタリと聞かなくなったから。聞いたら私が困るということを知っていたんでしょう。妻はそういうヤツでした。」…何とも涙を誘う話です。

子供に夢を与えるメルヘンや、感動を生む物語(フィクション)はたくさんあります。これらは全て嘘。サンタクロースはかつてどこかに実在したかもしれないけれども、今の日本に本物はいません。でも、みんなが守り続けている嘘です。嘘も良いものと悪いものがあるということです。

人を騙すような嘘はいけないということですね。ばれた時に心が不毛になるような嘘はいけない。逆に、ばれた時に心が温かくなるような嘘ならば、許されると思います。

実際問題、子育てで一切嘘をつかなかったら、収拾がつきません。

《つづく》
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ブログネタ
地方 に参加中!
報道特集NEXTを見ました。就任後100日の橋下府知事の生出演でした。100日を振り返った映像がいろいろ紹介されました。あの涙を見せた場面も。

その中でまずびっくりした映像は、府の労働組合とのやりとりでした。府は赤字なのだから、赤字の会社がそうであるように府職員の給与も下げる!という府知事の意見に対して、組合の人が民間と一緒にするなと抗議していました。つまり、民間ではないのだから赤字であっても給料を下げてはいけないという認識のようでした。こんなアホがいるんだ!とビックリしました。

また、府の施設が民間に委託されたのですが、引継ぎのためと称して職員2人が残ったそうです。この人たちの年収が一千万円。それに対して、民間の職員の年収が300万円。府知事が府の担当者に対してこの高給の理由を問うと、年齢に相応しい待遇とのこと。実際に運営している民間の担当者に聞くと、具体的な仕事は「鍵を開けることくらい」と答え、「いなくてもいいということですか?」という府知事の問いにうなづき、「はっきり言うと邪魔です」と答えました。

こういう人たちが大阪にばかりいるとは思えないので、マスコミに注目されてこういう人たちの存在が明るみになるのであれば、芸能人が政治家になることは歓迎すべきことかもしれません。

赤字の民間企業の再建という観点から見れば、橋下府知事がやっていることは当たり前すぎるくらい当たり前のことです。税金で運営されているところは民間よりも厳しくなければいけません。「民間と一緒にするな!」という意見は非常に正しいのです。民間よりずっとずっと厳しくなければいけないのです。それをせめて民間と同レベルの努力はしましょうよ、というのが橋下改革ですから、職員は有難いと思わなければなりません。

民間で最近よく見られるのは内部告発です。船場吉兆など明るみになったのはこれだと思います。民間と同様の浄化作用が働くためには、この内部告発の活発化も必要なのではないかと思います。公的機関でも人件費削減で臨時職員が増えるようになれば、内部告発をする人が増えるのではないかと期待しています。



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